この記事は暴力的・性的な表現を含みます。体調不良の恐れがある方は、閲覧をご遠慮ください。
概要
彼らは自ら悪に染まった訳ではない。環境が作った悪なのだ。
この記事は、その事実を世間に広める為に執筆したものである。
安住の地は刑務所だった――下関駅放火事件
私は複雑性PTSDが悪化した。それから妻子を連れてホームレスとなり、生活保護を受給している。その時、ボランティア団体や役所の福祉課からも、「住所が無くとも生活保護は貰える」と説明された。住まいは福祉の方から提供される。
そりゃそうだ。路上生活者にこそ生活保護は至急されるべき。これぞ福祉である。
そういうセーフティーネットがないと、上記のような事件が起きてしまう。
この章を読んだ私は、ふと想像してしまった。
――もしあの時、生活保護が貰えず、家族もろとも路上生活者になっていたら、罪を犯すしか生きる術はなかったのではないか。
寒気のする妄想だ。こんな事、考えたくもなかった。しかし、他に何か生き方があったのだろうか?
福祉。これは、日本社会の治安を守る為にも必要な、公的サービスなのである。ただ犯罪者を刑務所に入れて、刑期を終えたら出所させて後は知りませんでは、犯罪を繰り返す人が後を絶たない。
この本に出てくる累犯障害者は、福祉に助けてもらえなかったから、仕方なく犯罪を行ったのだ。だからといってしていい事にはならないが、止められる手立てはあった。助けられたはずなのに、助けられなかった。その事実は揺るがない。
累犯障害者は、悲惨な幼少期を過ごしている。彼らもまた、被害者だった。それがまた、新たなる被害者を生んでいる。
この放火事件を起こした被告は、過去10回服役していた。その罪は全て、放火罪である。
NPO法人との面会で、彼はこう語っていた。
レッサーパンダ帽の男――浅草・女子短大生刺殺事件
言うまでもなく、この事件を起こした彼やその家族も、生活保護や障害年金といった制度を知らなかった。あるいは、知っていても理解できなかったと考えられる。
恐らく、障害者手帳を自ら破り捨てている事から、自分が知的障害者を受け入れられなかったのではないかと推察できる。だから、もし福祉サービスを知っていても、利用しなかったであろう。
現に私も、「皆が汗水垂らして収めた税金を貰うなんて出来ない」と言って、受給を拒んでいる路上生活者と話した事がある。だが、そこは強引にでも、福祉サービスを利用させて良いのではないだろうか。私はそう思う。
これについて、とあるSNSに書いた事がある。その時きた返信は「なんで貰わないって言ってる奴に生活保護あげるんだよwww」であった。
この心無い言葉を発した人は、累犯障害者についての理解が足りない事は明白である。障害者を守る為である事はもちろん、日本社会の治安を維持する為にも、社会からドロップアウトしてしまった人に、福祉を利用してもらう必要があるのだ。
また、この事件について、加害者の妹さんについての話も知ってほしい。きっと、福祉の在り方について考える機会になる。
続きはぜひ、引用元で読んでほしい。
障害者を食い物にする人々――宇都宮・誤認逮捕事件
我が国の刑事司法は、自白調書に強く依存している。また、知的障害者は、強い物言いをしてくる相手に言い返せない事もあり、検察に言われるがまま自白してしまう事がある。
また、知的障害者を食い物にする輩もいる。
この本に登場する事件だと、知的障害を持つ人達と養子縁組を結んで、タコ部屋の如きアパートの一室に押し込め、障害年金や生活保護を実質的に管理しているという。
被害にあっている人達は自分の意見を言いにくい立場にあるから、誰かに助けを求められず、今も食い物にされている。
生きがいはセックス――売春する知的障害女性たち
要は、売春婦を更生する為の施設だ。また、最近はDV被害を訴える人などを入れる施設としても機能している。
また、作中では、こう語られている。
「楽しかったらからいいじゃない」
作中に出てくる、売春を続けていた女性は、著者の問いかけにそう答えたそうだ。
彼女達にとって、売春は快楽を感じられる楽しい行為であり、また、「可愛い」や「綺麗」といった、男の薄っぺらい発言を言葉通りに受け取る。
彼女らにとって、人恋しさを満たして幸せを与えてくれる、楽しい行為みたいだ。
また、母娘ふたりとも知的障害者である場合もあって、その人の話にとても心が重たくなった。
とある母は何度も離婚していた。ある日、その相手の一人が、重度の知的障害を持つ娘を輪姦させていた、という話が出てくる。
読んでいて、とても胸が痛くなる。
この娘さんは確実に被害者だが、最初に紹介した例だと、本人も同意の上で性行為に及んでいるので、実質、「被害者のいない事件」と言える。しかし、その女性もまた何度も中絶したりと、過酷な人生を歩んでいる。売春に手を出してしまったが為に。
ある知的障害女性の青春――障害者を利用する偽装結婚の実態
この章では、偽装結婚のブローカーに利用されている知的障害者が登場する。彼女は自分が偽装結婚している事を悪いと思っていないどころか、そもそも、「偽装結婚」という単語の意味すら理解できていない様子だった。
また、彼女は福祉より、ヤクザと一緒に居る事を選んでいる。
それは、本当の意味で福祉を理解したうえでの拒否なのか、理解できないから現状維持を望んでいるのか、はたまたヤクザの恐怖に支配されて、そう言うしかなかったのか――
多重人格という檻――性的虐待が生む情緒障害者たち
父親からの性的虐待に耐えかねて、多重人格になった女性が登場する。
性産業に従事する女性の中には、少なからず、性的虐待を受けてきた女性がいるそうだ。その過去を塗り替える為に、トラウマを克服する為に、不特定多数とそういった行為に及ぶのだそう。
そういった、性的虐待を受けた子供の心を治療する専門的児童施設は、日本には少ない。そこが問題なのである。
また、こうして性と障害者に関する話をしてきた。ここまで読んで、あなたはどう思っただろうか。
特に、知的障害者とセックスの問題だ。
現状の福祉では、売春や風俗などの性産業にいる知的障害者を止め、障害年金や生活保護で助けてから、別の就職先・障害者雇用での就労を勧める。
確かにこの選択肢の提示によって助けられる人もいるだろう。だが、そうでない人もいるはずだ。
現に、前の章で紹介した性産業に従事する女性は、自分の仕事を「楽しい」と言って、幸せを感じている。彼女にとっての天職を奪い取る事が、果たして福祉なのだろうか?
福祉関係者は、障害者と性について、目を背けてはならない。
閉鎖社会の犯罪――浜松・ろうあ者不倫殺人事件
司法の中には、ろうあ者差別・軽視が存在する。
日本の刑法によれば、ろうあ者に対して刑事罰を科さない(または減刑する)規定が存在した。具体的には、刑法第40条により、「瘖唖者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ軽減ス」と規定されていた。(1995年に削除されている)
また、本作に登場するろうあ者の話では、「通訳者が誤って通訳しており、供述調書に自分の主張と正反対の事を書かれた」などといった話が出てくる。その理由は、ろうあ者のコミュニティが作った手話と、健常者が学習する日本語対応手話は、外国語のように別物だからだ。
また、手話に関する裁判で注目すべきものが、今年行われた。
果たしてこの判決は、日本の教育現場にとって、正しいものと言えるのだろうか?
また、この章で私が興味深いと感じたのは、ろうあ者と健常者の世界は別物なのではないか、という点。
作中ではこう語られている。
近代言語学の祖・ソシュールは、「言葉が世界を分断する」という格言を残した。つまりは、言葉が世界を作っているのだ。だから、我々とは違う言語を使って、健常者とは違う社会・デフコミュニティに生きる彼らは、我々とは違う文化や考え方を持っている。我々とは違う世界の見方をしている。
そこの理解から始めることが、多様性であり、お互いが共存する為に必要な事だ。
ろうあ者暴力団――「仲間」を狙いうちにする障害者たち
この章では、公判停止になった二つの裁判が紹介される。
この被告人に共通するのは、ろうあ者でありながら教育を全く受けておらず、読み書きはもちろん手話も出来ないので、意思疎通のやりようがないのだ。だから裁判が機能せず、停止するに至った。
どちらも高齢者だったが、彼らは人生の殆どを、他人と交流せずに過ごした事になる。
このふたつの事件とも、福祉を利用して救っていれば、起きなかった犯罪だ。
なぜ彼らが教育を受けられなかったのか、本人から語られることはない。
彼らは一体、どんな人生を歩んできたのだろうか。
また、上記の事件は社会が救えなかったろうあ者だが、自ら裏社会に入ったろうあ者もいる。
また、本作には、「ろうあ者の集い」に参加して詐欺相手を探る輩も登場する。ろうあ者同士だと信用されるから、騙しやすいという訳だ。
福祉の場を悪に利用しようとするろうあ者もいる。障害者だからといって品行方正であるわけではなく、同じ人間なので、負の感情を持つ人もいて、それが爆発して殺人事件にまで発展する。
終章 行き着く先はどこに――福祉・刑務所・裁判所の問題点
マスメディアに取り上げられる障害者は、煌めいている者が多い。
パラリンピックに出場したとか、芸術活動に才能を見出す者など、努力して社会に貢献している人達ばかり。だが、障害者の中には上記のように犯罪に手を染めてしまう者達だっている。
こういった社会で生きづらい人を救うのが福祉であるが、「触法障害者」と呼ばれる、悪事を行ってしまう障害者とは距離を取りたがる。福祉が助けないのだから、彼らは犯罪を繰り返すしかなくなり、刑務所を居場所とする「累犯障害者」へと変貌してしまうのだ。
居場所が無くて刑務所に戻りたいが為に放火する人だっている。
本当はそういう人こそ救わないと、社会が「また刑務所へお戻りなさい」と言ってるようなもの。犯罪の被害者になった方からしたら、たまったものじゃない。
では、出所後の障害者は、どうしたらいいんだろうか?
彼らを助ける人は少ない。むしろ、突き放す人の方が多いだろう。
一度でも社会からドロップアウトしてしまった障害者は、もう一度やり直す機会が与えられない事がある。その場合、終の棲家に刑務所を選ぶしかなくなる。もしくは、暴力団などの反社会的組織に手を貸すか。
どちらにせよ、また、犯罪に手を出してしまうのだ。
読書感想文
私は複雑性PTSDという、精神障害者です。
この障害は対人関係が困難なうえ働けないのに、障害年金が貰えないので、生活保護を貰っています。
仕事をしていない代わりに、社会復帰を目指して資格の取得や、深い病識を得る為に、毎日勉強しています。
私は、心的外傷を受けたが為に、健常者より多く精神的苦痛を負わなければなりません。社会に適応する事は困難です。
何十回も退職してきました。周囲をイライラさせていまう事が多々あるからです。どこに行っても上手くいかず、トラウマがフラッシュバックして働けなくなる。それを数え切れないほど、繰り返してきました。
社会で生きていけない。罪を重ねながら生きていくしかない――
そんな私を拾ってくれたのが、就労移行支援でした。
そこでの活動や、ドロップアウトした経緯は、こちらのマガジンにまとめています。
情報弱者でした。私は機能不全家族の元で虐待を受けながら育った為、まともな教育を受けておらず、福祉サービスの存在を知らなかったのです。
――障害者になってしまった自分はもう、まともに生きていけない。
そう思っていました。しかし、ちゃんと役所やボランティア団体に相談すれば、助けてくれる人は沢山いました。
生活保護は、社会からの慰謝料だと思って受け取っています。
また、SNSで他のホームレスと話していて思ったのですが、生活保護を貰う事に抵抗を感じて、路上生活を続けている人がいるようです。しかし、彼らは絶対に保護費を貰うべきでしょう。
申請が通れば、衣食住が与えられます。これは当たり前の権利で、罪悪感を感じなくていいんです。身体や精神に疾患があるからといって、生きづらい世の中が間違っています。
――本当は親の責任です。
「あなたのお子さんは障害があるから福祉を」
そう声をかけてくれる人がいたら、助かる命は沢山あった。
幼少期、私の周囲にいた大人達は、家庭環境や私自身に問題があると分かっていながら、福祉を紹介してくれませんでした。もっとはやく福祉を利用出来れば、私は罪を犯さずに済んだかも知れません。しかし、彼らを恨んではいません。だって、考えてもみてください。
目に見えない障害を持つお子さんの為に、親をこんこんと説得する。そんな面倒な事を誰が出来ますか?
でも、やらなくちゃいけない。
「他人の家庭なんて知らない」と言ってしまう事は簡単です。しかし、自分の身を守る為にも、治安を保つ為にも、地域住民の皆で声かけをしていく。そういった心掛けが必要です。
なぜ、障害者は苦しまなければならないのですか?
考えてください。
なぜ彼らは、罪を重ねるのか。
どうやったら、止められるのか。
累犯障害者とは、何か。