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数は存在しない!? 『数の発明』を読みました



#勉強記録

概要

人は長い間、量がどこまでも数えらえるものであることを知らずに生きてきた。しかし、世界各地で数の言葉が発明されると、数の言葉はその社会で広がり、受け継がれていった。そして現在、社会も大多数の個人も、数を知らなかった頃のことを忘れ、意識まで数に浸されて生きている。ピダハン族などの数を持たない人々の社会や、乳幼児と動物の量の認識、世界の言語に残る痕跡を通じて、数の発明という忘れられた人類史の転換点を探る書。

https://www.amazon.co.jp/dp/4622089645/ref=cm_sw_r_as_gl_apa_gl_i_4H6VEV2XJSVVKPTFS9T2?linkCode=ml2&tag=yutopia4869-22

読書感想文

米国マサチューセッツ工科大学(MIT)とカリフォルニア大学バークレー校(UCB)で行われた2022年の研究で、人間の数を数える能力は「数字に名前があるかどうか」に依存していたことが判明しました。

この研究によれば、数字に名前がない文化では数を数える能力が極めて限定されているといいます。

言語がないと人間は「4」までしか数えられない

 今日はこの、『数字に名前がない文化』の民族について取り扱います。
 このブログでは、「言葉が世界を作っている」という世界観を唱えていますが、それを裏付ける本です。

ムンドゥルク族と呼ばれるアマゾン先住民には、「2」より大きな量を正確に表す単語がない。彼らと同じアマゾンの先住民族ピダハンは、数に関する言葉は「1」すら使わない。では、そうした人々の話す言語では、「何歳ですか?」という質問にはどう答えるのか。

同 P10

 冒頭のニュースで、数の言語を持たない民族は4までしか解らないという研究結果を紹介しました。ではなぜ、我々は5以上の数を理解できるのか。その違いはなにか。
 この本では、「手」を挙げていまする。ヒトが進化していく中で、「指は4じゃねえな」と気づき、「5」という概念を発明した人がいたのでしょう。そこから6以上も作り出され、現在の数学にまで発展した。
 ピダハン族は3以上を数えるのに苦労する。彼らは量を測る時、だいたい多いか少ないかで分けているのです。
 細かく数えて分けられるという文明社会の人間にとって、彼らがどんな主観にいるのか、理解に苦しみます。しかし私は、ピダハン族の世界観に、学ぶべきものがあると思います。

アマゾンの熱帯雨林地域の奥地に存在する400人に満たない少数民族。『ピダハン族』と呼ばれる彼らは“直接見聞きし経験したことのみしか捉えない”『直接体験の原則』に基づいた文化を持つ。一言で言うなれば“今この瞬間を生きている”民族と言えるだろう。

(中略)

ピダハン族には、過去と未来という概念が存在しない。そして、そもそも概念が存在しないのだから、彼らの言語に過去や未来を表す時制は存在しない。

過去という概念がない為、故人の死を弔う葬式などの儀礼や創世神話などは存在しない。血縁関係の離れた曾祖父母という概念もない。また、未来の概念がない為、肉の塩漬けや燻製といった保存食や加工食は存在しない。未来に食を持ち越すという考えがそもそも発生しないのである。

(中略)

人々がストレスを感じる別の要因として、他者との比較によって抱く劣等感もあるだろう。確かに、例え過去や未来と関係がなくとも、現在という時間軸においても“他者との比較”は私達に大いなるストレスをもたらす。

しかし、これまた興味深いピダハン独自の概念として自分/他人の区別がはっきりとしていないのである。

『今この瞬間』以外、何がある? 過去も未来もない民族“ピダハン”

わたしたちは数の世界にかんじがらめに絡めとられており、それのない状態は想像するだに難しい。

同 P140

 また、数がないのはアマゾン先住民だけではありません。

音がなければ数もない
 
数を持たない、少なくとも数を介したコミュニケーションをほとんどしないのは、ムンドゥルクやピダハンの人々だけではない。(中略)それはニカラグアのホームサイナー(自己流手話話者)、何らかの事情で標準手話を学ぶ機会のなかった聾者たちだ。

同 P147~148

 聾者が健常者と違う倫理観、価値観を持っている可能性は、『累犯障害者』という本でも触れられていました。

彼らの精神世界は、われわれとは異なるのではないか。言語世界の有りようが違うと、感受性や倫理観さえも違ってくるのではないか。そう感じることが度々だった。

『累犯障害者』P227

 使う言語が違えば、見える世界も変わる。そのことは、数々の本で触れられています。
 ピダハン族は、とても幸せな生き方をしている民族です。
 大量消費社会を生きる我々は、彼らの価値観から、持続可能な生き方を学べるのではないでしょうか。

抽象概念というものをピダハンはもっていない。思えば数字も神も過去も未来も抽象概念なわけだから、それらをもっていないピダハンは目の前にある「今このとき」しか認識していないという、もはやぼくたちの想像力のおよばない世界観の中を生きているのである。

(中略)

ピダハンは実に楽観的で将来のことなんか悩んだりしない。だって、未来という概念をもたないのだから悩みたくても悩みようがないのだから。また、おしゃべりが大好きでいつもみんなでおしゃべりしていて、それでいて、人間関係の悩みやストレスとはまったく無縁なのである。

ピダハンたちの言葉。
#読書感想文


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