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子供の才能を殺すな! 美術の見方を知れ!

#子育ての悩み

 美術の先生が嫌いだった。
 中学生の頃。「花の絵を描きなさい」というお題があった。
 枯れた花や、花の根っこ、散った花びらだけ描くのが私だ。それを怒るのが、美術教師である。
 私は納得できなかった。
 「満開の花を綺麗に描かないといけないというのは、固定観念ではないですか?」
 「枯れてても、根っこや花びらだけでも、これは『花』ではないですか?」
 そういったことを主張すると、面倒臭い生徒だと思われたのか、無視してどっか行ってしまった。説得や説明といえる話をしてくれなかった。
 私は、この教師から美術を学びたくないと思った。

 小5か小6くらいの美術で、『自分の手を描きましょう』という授業があった。
 私は右利きなので、左手を見ながら描いた。
 同級生は手を見たままに描いていたけど、私は燃え盛る左手を描いた。
 これを笑いものにされたし、先生も「なんでこんな絵を描くんだ!」と怒った。
 当時、私の目には、左手は燃えているように見えた。それをそのまま描いただけだ。
 「現実を忠実に描写しなければならない」という決まりはない。なのに、そう思い込んでいる人の何と多いことか。
 美術の授業で納得出来ないのは、こんな教師から偉そうに採点されることだ。

 以上2つのことを、絵画で表現した画家がいた。

アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905

 鼻筋を緑で描いてあるので、「なんと可笑しな絵だ」と思うかもしれない。しかし、こうも思えないだろうか。
 「先入観や固定観念に囚われない、自由な絵だ」と。
 写真のような絵を良しとするなら、写真でよくないか?
 絵画は、絵画でしか出来ない描写をしてもいい。そこにも価値はある。

 美術の見方として、「思い込みに縛られず、絵画を捉える」というものがある。

本作が描かれたのは1905年で、マティスが「フォービスム」と呼ばれた同年に描かれた作品です。タイトル通り、マティスがマティスの妻を描いたものであり、顔の中央に描かれた緑の筋が特徴的に描かれています。また、同様に大胆な輪郭線を分割線として塗られた紺、緑、オレンジ、ピンクといった色彩も非常に目を引きます。非常に強い色彩から成る作品であっても調和が生まれているのはマティスが色彩を限定し、明るい色と冷たい色を同時に強調して使っているためです。

これこそ先程から何度か出てきている「フォービスム」の特徴でもあります。

フォービスムとは20世紀初頭、フランスで起こった美術運動の一つで一言でいえば「色彩による革命」です。マティス以前の大半の画家たちが「リンゴは赤く」「葉っぱは緑」のように色を描くべきものを説明するために用いたのに対し、フォービズムは自然の色にこだわらず、チューブから搾りたての色そのものの強さ、純粋さ、表現力を愛し、これを画家の本能のままにキャンバスにおきました。

本作に見られるのも自然の色彩にはこだわらない、チューブから搾ったばかりのような鮮明な色彩であり、おそらくマティスが見た現実の光景とは違った色彩であったことでしょう。

【今日の一枚】アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905

 美術のこういう教養を、子育てに活かしたい。
 私は固定観念や先入観を子供に受け継ぐような、そんな育児をしたくない。むしろ、子供が持つ独創的な発想を、阻害しないように育てたい。
 「しちゃいけない」という思い込みを持っている大人は多い。社会で生きていると、色んな物事を決めつけてしまう。でも、そんな陳腐でいてほしくない。息子を凡夫にはさせない。
 周囲に衝撃を与える発想を持っていてほしい。
 つまらない大人にはなるな。

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