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不幸せな天才

人間には、生まれ持っての知能指数がある。私は、知能指数の高低に良い悪いはなく、全てその人の個性だと思っている。では、日本に限った話ではないが、知的障がいの方は特別支援級に入って特別措置を受けられるのに、高知能のギフテッドチャイルドは何の処置も受けられず、合わない環境に何年も身をおかなくてはいけないのはなぜだろうか。

こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は今日は久々に大学に行けました。授業は難しかったのでちょっと落ち込みましたが、夕飯に美味しいお寿司を食べたのでとても満たされました。


前に書いた通り、私は知能指数が人よりやや高い、いわゆるギフテッドという人です。検査の時の正式な書類は貰えなかったし、大人になってからは鬱で頭が回っていない感じがあり、今測っても本来より低く出ることは自明なので鬱が治るまでは測るつもりはありません。なので、私がギフテッドである証明は出来ません。それでも、私の話を信じてくださるなら、こんな人もいるんだ、と言った程度に聞いて貰えるとありがたいです。

私が自分がギフテッドであることを知ったのは中学生の頃でしたが、今に至るまでずっと隠してきました。そのようにしろと親に言われていたし、何より、周りに「頭がいいアピールをしている」と思われたくなかったのです。私は自分の知能指数が高いことで優越感を感じたことはありません。ただ、高いという事実があるだけです。それを分かって欲しくても、知能が高いと口にすれば必ず自慢だと思われるこの社会が私は嫌いです。

頭のいい人、天才は周りから羨ましいと言われますが、果たして本当にそれはいいことなのでしょうか。生涯で他者に理解されることなく自殺したゴッホは果たして幸せだったでしょうか。天才は短命だと言われるのは、周りに疎まれて追い詰められるからではないでしょうか。

知能指数は10違うと会話が噛み合わないと言われています。つまり、知能指数が高い人も低い人も両方が特別な措置を求めているのです。なのに現状は知能指数が低い人の支援ばかりに力を入れて、知能指数が高い人は支援どころか出る杭は打たれるというように黙殺されています。それはおかしくないですか。

私がギフテッドという言葉を知った10年前に比べて、日本でのギフテッドの認知は進みました。それでも、まだ不十分だと私は思います。ギフテッドの子供たちが自分の知能に合った環境と仲間に囲まれて迫害されることなく成長できる社会を私は望みます。

ここまで読んでくださってありがとうございます。少しでもギフテッドという存在を知っていただけたのなら幸いです。

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