人生を描く
⚠️この記事は西加奈子さん著「きいろいゾウ」のネタバレを含みます
『僕は、人生というものが、ただそこにあるものなのだと知った。僕を翻弄したり、つき離したり、呼び戻したり、また見放したりするものではない。それは目を開けてもつむっても、ただそこに横たわっているだけのものなんだ。変わらず、裏切らず、おもねることなく。そしてそれはそこにあるだけで、それだけで、安心して眠るに値するものだと、目覚める理由があるものなのだと知ったのです。』
「黄色いゾウ」 p.427
こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は今日は西加奈子さん著の「きいろいゾウ」を読み返しました。ページ数の多さの割に読みやすく、物語に入り込みやすかったです。今日は、この「きいろいゾウ」を読んだ感想について書きたいと思います。
「きいろいゾウ」は、感性が豊かでさまざまな生き物や植物の声が聞こえる女性ツマと、その夫で作家をしているムコの二人が田舎で暮らし、人々や動物たちとの付き合いの中で隠されていた過去を乗り越えていく、といったお話しです。ツマと動植物たちや近所の人々との会話がとても温かく印象的で、ところどころに挟まるムコの日記もこの物語を読みやすくし、後半ではこの物語の中核をになっていたと思います。何より印象的だったのは、最後の、ムコが過去の女性の家を訪ねるシーンで、ムコの背中の虹色の鳥がまさに飛び立つ様をありありと脳内で想像することが出来ました。紆余曲折あってムコとツマの二人は仲を深めることが出来るのですが、後半のムコのある台詞が心に響きました。
「僕は、人生というものが、ただそこにあるものなのだと知った。僕を翻弄したり、つき離したり、呼び戻したり、また見放したりするものではない。それは目を開けてもつむっても、ただそこに横たわっているだけのものなんだ。変わらず、裏切らず、おもねることなく。そしてそれはそこにあるだけで、それだけで、安心して眠るに値するものだと、目覚める理由があるものなのだと知ったのです。」
私は、以前の記事で、絵画は何も語らず、ただ受け取り手の心の中に黙ってずっと佇む、と書きました。
私にとって絵画(を描くこと)とは人生そのものであり、同様に、人生とは絵画のようなものだ、とも思っています。
子供が学校で大人に言われて絵を描くように、人生とは、歩むものではなく、誰しもが生まれつき、気づけば歩まされているもの。でも、自分の意志で、道を、作風を、変えられるもの。人生の作風は人それぞれで、画法から色使い、筆の運びまでみんな違う。けれど、みんな歳を追うごとに、線を、絵の具を、重ねるうちに、色味が深まり深い作品になる。
そして、絵画が何も語らないように、人生も、ただ、そこにあるだけです。でも、そこに、たしかに、自分の描いてきたものが、積み上げてきたものが、ある。その安心感が、私たちが生き続ける、絵を描き続ける原動力となるのです。
私は、明日も絵を描こう。明日も、また、人生に色を塗り重ねよう。今日のこの日の、たしかな存在を感じながら。
これを読むあなたが生涯で素敵な絵を完成させられますように。それではまた明日。