Mrs(ミセス)の「僕のこと」~ 人生を俯瞰した歌詞が共感を呼ぶから国民に愛される名曲となった
3月、とある卒業式の退場曲で流れていました。
Mrs.GREEN APPLEの「ケセラセラ」。
卒業生が堂々と胸を張って退場していく姿と、未来へのエールとがオーバーラップし、ボーカルの大森さんの高音をはじめとした歌唱力もさることながら、その歌詞が胸に響き、その後もずっと気になる曲となっていました。
よっぽど、自分の中で響くものがあったのでしょう・・・ここ最近、あまり、音楽を聴かなくなっていましたが、珍しく、YouTubeで、Mrs.GREEN APPLEの曲を聞くようになりました。
今は毎日のように「僕のこと」を聞いています。
この曲は、第97回(2019年)全国高校サッカー選手権大会の主題歌にも選ばれた曲です。やはり「ケセラセラ」と同様に、ボーカルの大森さんの高音をはじめとした歌唱力もさることながら、その歌詞が胸に響きました。
誰しもが人生で葛藤し悩み、がむしゃらに頑張っているのに結果が出ずにもがく日々もあります。
その時々では、自分を、自分の人生を否定してしまうこともあります。
それでも「なんて素敵な日だ」と全肯定する歌詞が、何回聞いても、胸に染みてきます。
勝ち負けがはっきりする勝負の世界(サッカー大会)では、優勝する高校が1校であるのに対して、参加した残りの高校は全て負けることになります。そのことを考えた時、作詞作曲をした大森元貴さんは、
「なんて酷なことなんだ」と思ったそうです。
そして、ただ希望だけを歌ってしまうと、きれいごとになってしまうと感じました。それでは、本当の意味での応援ソングにならないと思ったそうです。
なので、実際の歌詞にも、希望や明るい表現だけではない部分があります。例えば・・・
一見すると、奇跡も起こらず、努力も報われない。何の希望もないというような感じもしました。しかし・・・。
「奇跡は死んだ」ではありません。
「奇跡は死んでいる」ということは、「今は」死んでいる状態と言うことで、ひょっとしたら奇跡が起こるかもしれない、という可能性は残っています。全く起こらないという否定ではありません。
奇跡は蘇るかもしれません。
また「報われないことがある」です。
全て「報われない」とは言っていません。
報われないことがあるということは、逆に言うと「報われることもある」と言えます。
特に、この曲はアスリートたちが共感し、勇気づけられる曲としてよく聞かれているそうです。
実際、バレーボール日本代表の石川祐希選手は、ウォーミングアップの時などにMrs.GREENAPPLEの曲を聞いたり、試合前のバスの中でこの「僕のこと」を聞いて、「静かに闘志を燃やした」そうです。
負けや失敗と言う結果が出てしまうことがあっても、今まで仲間と練習してきたこと、日々の努力の積み上げなどの結果としては見えてこない部分を表現した「僕のこと」の歌詞に、みんな、励まされています。
アスリートに限らず、仲間と共に成功や挫折を味わったことがある人ならだれもが共感できる歌詞だからだと思いますが、
今では、合唱の定番曲にもなっていて、国民に愛される名曲の一つとなってもいます。
作詞作曲を手掛ける大森さんは、メンバーの藤澤さん曰く、
「俯瞰する力」がすごいそうです
たしかに、多くの楽曲、「ケセラセラ」なんかも、その時々の現象、思いを歌うだけではなく、
高い次元から見下ろす感じで、物事の全体を見るからこそ分かる人生の意味に通じる歌詞がたくさんあります。
ある意味「魂の視点」で見てたことを表現しているから、多くの人の共感を呼ぶのかなとも思いました。
魂の視点で考えると、どういう人生を歩んだとしても、極論すれば、死を迎えるまで生き続けたこと自体で、100点満点なのかもしれません。
もちろん、何かを成し遂げよう、名や記録、生きた証を残す、やりたいことをすべてやり切りたい・・・という気持ちもあると思います。
それでまっすぐ生きられるなら、それはそれでいい。
でも、そうできなくてもいい。
ぐずぐずしている人生も、一つの経験。
ちゃんと、最後までぐずぐずしながら慎重に生きていければいい。
「平凡な人生」も、一つの経験。
ちゃんと、絵に描いたような平凡な人生を切ればいい。
魂の視点からすれば、みんな同じように素晴らしく、尊い価値がある。すごいことをしないと、生きている価値がない訳じゃない。
「人間をやっている」こと自体が、すでに「魂の望み」を実現していることかもしれません。
「僕のこと」の最後は、こう結ばれています。
よかったら「僕のこと」、聞いてみてください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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