ニュースに接する中で②~事実のとらえ方・「想像して」「結論を急がない」工夫
突然ですが、次のお話を読んで、どう思われるでしょうか?
ある物質Xについてです。次のような特徴があります。
1 酸性雨の大部分の成分をしめている。
2 砂漠化に大きくかかわっている物質である。
3 多くの工場から、大気、川、海に何の規制もなく排出される。
4 かたまりになった「X」を長時間さわっていると、皮膚障害を起こす。
5 海で亡くなった人を調べると、死亡原因に大きくかかわっていた。
6 食料に残留しやすく、乳児の体内にも残留しやすい。
このような特徴がある物質Xを使用することに賛成しますか?
話とともに、酸性雨で溶けた銅像、工場や砂漠の写真なんかを示すと、ほとんどの人が、「こんな危ないものは、使っちゃいけない」「こわい!」と言うと思います。
気分を害されたら、すいません。
実は、この物質Xの正体は、「水(水分)」です。
読み返してみると、それぞれの文は、間違ったことは言っていません。事実です。
雨に含まれていますし、逆に水がないと砂漠化します。
汚れていなければ、水自体は排出されますし、塊になった水=氷を触り続ければ、「痛み」すら感じます。
当然、海で亡くなる人の多くは、溺死で、水が関わり、人の体は水分でできていますし、食べ物にも多く含まれていますので「残留している」と言い換えられはします。
このように、
事実であっても、その情報を伝え方によって~一方的に「悪い」情報だけ与える(与えられる)と、誤解が生まれ、イメージだけがふくらみ、みんなにとって必要な水でさえ、悪いものになってしまいます。
選挙戦などでよくある「ネガティブキャンペーン」は、その典型です。
ニュースで、繰り返し繰り返し報道されると、
「それだけが現実」
「世の中、同じようなことばかり起こっている!」
かのように錯覚してしまいます。
そして、マスコミはどちらかというと「ネガティブな」「インパクトが強い」事件などを報じます。それは、皆の注目度が高く、速く伝わりやすいからです。もちろん、そういう報道を通しての「注意喚起」という目的もあるとは思いますが。
特に、こういったニュースに触れる時は、
「事実と真実の違い」
「全く利害関係のない他者が客観的に眺めたらどう見えるか」
「まだ、分からないよね、ひょっとしたら・・・」
というような視点で見ていかないと「マスコミ、自分の周囲の人が何と言っているか」「みんながそういうなら・・・」などの「空気(ムード)」に流されやすくなります。
また、自分の側にも「偏見」「先入観」をもって見ようとしていないかの点検も必要です。思い込みや決めつけがあると、その時点で、すでに視野が狭くなっていたり、違うレンズが入ることで、事実はひとつでも見え方が変わってしまったりします。
例えば、「バイキング形式」でたくさんの料理があるとします。
目の前にたくさんの料理が並んでいますが、当然、自分にとって、苦手だったり、好きではなかったりする料理もあります。
そこで、嫌いな料理ばかりに注目して「嫌だ」「きらいだ」「まずそうだ」等と言っていると、せっかくの食事が台無しになります。
全ての料理は目にしつつも、自分が好きで食べたいなあという料理を選んでいけば、もっと楽しい気分で食事ができるのに・・・。
同じように、ニュースや情報も何に注目するか、その情報を知ってどう解釈するか、何を思うかは、その人に任されています。ちょっとしたネガティブな情報も、危機回避として「知る」ことは必要だと思いますが、自分の不安やイライラから、必要以上に注目して(選んで)いくと、メンタルの不安定につながってしまいます。
そこに悪意があるかどうかは別にして、
それぞれのメディアは、「大事だ」「世の中にとって必要だ」と思う側面を「切り取って」、情報を伝えていきます。
なので、切り取るということはスポットライトを当てるということとイコールです。逆に言うと、スポットライトが当たらない情報、影ができて、報道されない内容だってあります。
そこを「知らなかった」「聞いていない」や「絶対に~だ」と決めつけるのではなく、
情報の受け手の私達も「想像して」「結論を急がない」「何か隠れていないかな?」等と考える工夫や関わり方が必要になります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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