日本が立ち上がる1年のスタート!?~森信三先生の言葉と一隅を照らす
「一隅を照らす」という言葉があります。
天台宗の開祖である伝教大師(最澄)さんが言われた言葉だとされています。
「一人ひとりが自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なって、この世がつくられる」
というような意味になります。
光が届きにくい一隅(片隅)を照らすことは、福祉の精神にもつながる言葉です。
また、現代でいえば、ボランティアや社会貢献活動に通じる言葉ではないかと思います。自分の居場所で精いっぱい尽くしていく生き方ができれば、必然的に、その場所で「いなくては困る人」になり、さらに周りから、社会からも必要とされる人間になっていくのかもしれません。
「一隅を照らす」は、戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンの復興に尽力した日本人医師、中村哲先生の座右の銘としても有名です。
ちょっと似た言葉で、渡辺和子さん(ノートルダム清心女子大学名誉学長)の著書のタイトル
「置かれた場所で咲きなさい」
もあります。「今自分がいる状況・環境で、できる限りのことを精一杯する、続けていこう」という励ましの意味にもなるそうです。
国民教育の父とされた森信三先生は、戦前、今でいう教員養成学校の先生をしてみえました。その時の講義内容がまとめられた「修身教授録」は今でも読み継がれていますし、教員に限らず、経営者の方などに広く読まれています。
そんな森先生が、亡くなる前に(今から30年ほど前)に、将来の日本についてこんな言葉を遺されています。
2025年になったら、日本は再び立ち上がるだろう。しかし、その再起再生の原動力になるのは、二宮尊徳先生(小学校の銅像にある 二宮金次郎)の教えに基づくほかない。
そして、世界が、日本の立ち直りを認め出すのは、2050年ごろだろう。
そのほかには、日本民族の使命として
東西文明の融合への具体的縮図づくり
とも言っています。
混迷を極める世界情勢ですが、日本には日本なりの良さがあり、世界での役割があります。世界にはいろんな文明、主義主張がありますが、そこで対立するのではなく、それを包括的に受け入れ、独自の新しいものを生み出していく力が日本にはあります。
日本人ほど、日本の良さに気づいていません。
W杯サッカーの日本人サポーターの振る舞い(観戦後の掃除)に称賛が集まりました。
日本が発祥の「もったいない」(の考え方)が、ワンガリ・マータイ(環境保護活動家 ノーベル平和賞受賞)さんによって、世界に広まりました。
経済的な事だけで見てしまうと、「貧しい国」になってしまったと悲観的になるかもしれませんが、逆に、もう一度、日本の良さを見直す機会になっているのかもしれません。
そして、日本が立ち上がる時のキーワードが「一隅を照らす人(生き方)」なのではないかと私自身は直感的に思っています。
これまで、国の豊かさを示すものとして、生産量から経済的な豊かさを測る指標(GDP)が参考にされてきましたが、時代に合わなくなっても来ています。
それは、GDPだけでは、人々の生活の豊かさや身体、心の幸福度までは測ることが難しいからです。特に日本では、国民の幸福度調査でも順位が低く、たとえGDPが高くても、「幸せを感じられない」というギャップが大きくなっています。
「もっと、もっと(まだ足りない、まだだめだ)」と今を否定しながら、今の幸せを先送りしながらがむしゃらに「頑張って」疲弊するより、今、自分にできる精一杯のことに取り組んで一隅を照らし、自分の花を咲かせられたほうが、自分も周りの人も、より幸せを感じられるような気がします。
そして、そんな光を放つ人が、日本中のあちこちに出てきたら、「2025年から、日本は立ち上がるだろう」という言葉につながっていくのではないかとも思っています。
2025年は、後から振り返った時、歴史的な転換点となったと年といわれるような1年になるかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです