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掃除の会に参加して学んだこと⑭~しっかりと手と道具を使って掃除をするからこそ、学びの質(気づきや感性)が上がることを実感

 トイレ掃除の会に参加するようになって、びっくりしたことの一つに、汚れを落とすために様々な道具がある事です。
 しかも、それぞれに効果的な使い方や使用する場所が違っていました。それは、頑固な汚れを落とすためだったり、間違った場所に使って傷つけたりしないためです。


 しばらくの間は様々な道具を使って汚れを落とすことを楽しんでいましたが、会に続けて参加するうちに、一つの疑問がわきました。
 CMで紹介されているような強力な洗浄剤を使えば、簡単に、そして自分の手を汚さなくても汚れを落とせるのではないか?
 
 ・・・

しばらくして、ハッとしました。

 私が参加しているのは、ただ掃除をしてく綺麗にするボランティアではなく、「掃除に学ぶ会」でした。
 たぶん、綺麗する事だけが目的の会であれば、ばんばんと強力な洗剤などを使って汚れを手早く、効率的に簡単に落とせばOKだと思います。
 しかし、

「掃除に学ぶ」会なので、あえて、道具や手を使い、便器を磨き、掃除をしていくところに意味があります。手を使うことで頭も使い、気付きが深まります。


 そういえば、最近読んだ「下町ロケット」(池井戸潤 作)で、こんなセリフを読みました。

・設計図通りに試作するには、機械よりも手でやったほうが融通が利くんでね。もちろん、全部と言うわけではないが、出来るところは手作業でやっている。手作業だと機械でやるのと比べて、考えるヒントが生まれる。たとえば、途中まで穴を開けたところで、やっぱりここよりもあっちに明けた方がいいんじゃないかとか、くみ上げる前に設計のまずいところが分かったりもする。作ってからうまく作動しないことも、手作業の方がかえって少ない。結果的に試作工程の効率を上げることになるわけだ。

・穴をあける、削る、研磨する~技術がいくら進歩してもそれがものづくりの基本だと思う。

 手を使ってトイレ掃除をすることに通じる考え方だと思いました。
 
 気付きを深めるためには、自分の手を使って、もっと言えば、五感を使って掃除する必要があります。その中で、自分の感性も磨かれていくことを実感しています。あるいは、頑固な汚れをどうやって落とすかの工夫を考える事にもつながります。
 
 たまに「掃除の会」の掃除中の様子を見て、「何かの宗教ですか?」と言われることがあります。
 あるいは、手を使って便器を磨く姿を見て敬遠されたり、手を汚さないで、強力な洗剤を使えばいいのにと勧められたりもします。

それは、何を目的にしているかが共有されていないために起こる、悲しいすれ違いだと思います。


  ただ綺麗にするだけなのか、掃除に何かを学ぼうとするのか。
 
 私は、

掃除の会(掃除に学ぶ会)に参加しているときは、学びの質が上がることを実感しているので、限られた道具の中で、しっかりと手を使って掃除をしています。


 皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです


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