足りないという思いが自己肯定感を下げる 貢献感が自己肯定感を上げる
AIの研究者でもある黒川伊保子さんの「家族のトリセツ」という本を読んでいて、自己肯定感に関して、ピンとくる言葉がありました。
以前の私の事を言われているようでドキッとする言葉でした。
自分のことが好きかどうかは、結局のところ「自分が自分自身をどう思うか」に影響を受けます。
いくら周りの人が「~ができてすごいね」とほめても、その人自身が、
「これじゃあ、だめだ」
「まだ、できていない」
「もっと~を」
等と思っていたら、自己肯定感は上がりません。
また、他人の評価に依存していたら、他人に振り回され、満たされない思いを抱え続けることになります。
では、どうしたらいいでしょうか?
一つ目は、「適度な」向上心をもつ。
あるいは、上手に今の自分に満足できるかどうか。
学校教育の中でも、「向上心」はプラスの価値がおかれています。
努力して頑張ろう、よりよくしていこう、上を目指そうという気持ちで、「成長」ということを考えれば、大切な考え方だとは思います。
しかし、
向上心とは、別の見方をすると「不充足感をばねに生きる」ということにもなります。
今の自分を否定して、もっとよりよく、まだまだできると、悪くすると今の自分を責め続けることになります。
また、自分の強み(自分の向き、不向き)を無視して、とにかく何でも努力すれば、できるようになる、できないのは自分の努力が足りないからだという考え方の背景にもなっています。
だから、「1ランク上の自分」に憑りつかれてしまうと、体や心が悲鳴を上げるまで痛んでも、なかなか休めなくなります。
疲れて休む自分をも否定したり、責めたりしていきます。様々な要因はありますが、ひょっとしたら「自殺者」が多い理由の一つかもしれません。
さらに、達成感や意欲によって「疲れ」をごまかせもするので、心身が疲れてダメージを受けているのに、気持ちが「ハイ」になってしまって、そのまま、がんばりつづけることで、「過労死」につながってしまう要因にもなります。
メジャーリーグで活躍する大谷選手。
また、歴史に残る活躍をしたイチローさん。
数々の記録を出し、向上心の塊、求道者のイメージすらありますが、何より野球を楽しんでいるところに、心が折れない秘密がありそうです。
一打席一打席、一球一球に集中し、結果や、結果に対する周りの反応にこだわりすぎない。
理想を追い求めつつも、一打席ずつ、自分なりの満足を積み重ねていました。
少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事です。
自分のしたことに人が評価を下す、それは自由ですけれども、それによって、自分が惑わされたくないのです。 (イチロー)
二つ目は、「何らかの貢献感をもてるかどうか。
言葉は悪いですが、能力的にあまりできなくても、自己肯定感が高い人がいます。
でも、自分の役割や仕事の時間を楽しそうに、自分から進んでやっています。
人に言われたから、仕方なくというのではなく、自分から動いています。
根本に、やっていて楽しい、何か人の役に立ててうれしいという気持ちがあるみたいです。
仕事や勉強ができる事も大切です。
しかし、他人との競争で、点数が良ければそれでいいだけで終わってしまうと、あまり「自分が好き(自己肯定感)」につながらないようです。
逆に、その得意な勉強を友達に教えたり、自分の能力を活かして、仲間を手伝ったりして周りの人に喜ばれると、気持ちがポジティブになります。
また、仕事に限らず、周りの人に感謝の気持ちを伝えたり、ちょっとしたユーモアで笑わせたりすることも、何らかの「貢献をしている」と言ってもいいと思います。
「新しい道徳 北野武さんの「新しい道徳 いいことをすると気持ちがいいのはなぜか」という本に、次のようなことが書かれていました。
ひょっとしたら、人に喜ばれる、何かに貢献することは、自分の核(本能)の部分で、プラスの影響があるのかもしれません。
人の役に立つ、人を喜ばせることは、幸せを感じる一番の元になります。
そして、意識しないうちに、自己肯定感を高めていってくれます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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