探偵活動とパズル~真相や背景を見通す目を持つと見え方がかわる~ポワロ作品
➀本文の中で、ポワロの探偵活動が次のように例えられていました。
これは、アガサ・クリスティ自身の本格ミステリー観と言えるかもしれません。
たしかに、創作、物語とはいえ、あまりに突拍子もない、奇抜なストーリー、動機などでは、共感は得られないし、ミステリー作品としての完成度も低いと評価されるのではないかと思います。
どうして(どういう気持ちがあって)、そんな行動をとったのか。
もちろん、私自身は共感できることもあれば、全く理解できないこともあります。
でも、「そうかもしれないな」「自分も同じ立場なら・・・」と、納得できる、納得させられるところは、作者の描き方のうまさとつながっている気がします。
他にも、出来事の背景について知ろうとすることも、このパズルと同じだと思いました。
つじつまが合わないことや、どうして、そうしたのか腑に落ちない時は、出来事の真相や背景に何があるかを、まだ、分かっていない、知っていない、理解できていない状態ともいえます。
この状態だといくら事件が解決しても、何となくカタルシスがなく、もやもやとした気持ちが残ります。
現実世界でも同じです。
宮部みゆきさんは「理由」という作品の中で
『「マスコミ」という機能を通してしまうと、「本当のこと」は何ひとつ伝わらないということ。伝わるのは「本当らしく見えること」ばかりだ。そして、「本当らしく見えること」は、しばしば全くの「空」のなかから取り出される。』
と書いていました。
出来事の当事者でなければ分からないことはたくさんあります。
でも、マスコミ報道があると、「分かったつもり」になってしまいます。 自分がもっているフレーム~自分の見方・考え方だけで「理解したつもり」になってしまうからです。
もっといえば、マスコミの論調に流されてしまいます。
ミステリー作品でよくある「ミスリード」と同じで、ひょっとしたら、「世論操作」「印象操作」されているのかもと、いい意味で疑うこと(全て鵜呑みにしないこと)も必要だと思いました。
②今回の物語のあらすじは次の通りです。
クリスティの作品は多数あるだけに、真犯人の設定や物語のパターンは、別の作品~あの秀作、あの名作~にあるともいえます。
でもやっぱり、「騙された~」「やられた」となります(笑)。
そして、犯人が分かってから、読み返すと、すでにページの最初の方の段階で、大胆な描写、犯人につながるヒントが示されていて、驚き、うならされます。
また、読み進める中で、なんとなくひっかかっていた登場人物たちの矛盾する態度の理由もあかされ、見事に「伏線回収」がなされています。
今更ながら、こうした、作品を生み出す作家ってすごいなあと思いました。敬意を感じます。とても、自分にはマネができません。
そういえば、作家の池井戸潤さんが「ハヤブサ消防団」の中で、主人公の作家である三馬を通じて、こんな気持ちを書いていました。
「0」から、新しい物語、世界観を作り上げられるというすごさを感じ、そして、楽しませてもらっているという気持ちがあるからこそ、多くの人が作家に対して「先生」という敬称が使うのではないかと思えます。
何となくですがアガサ・クリスティというと「19世紀の作家」と言うイメージがありました。
でも、今回の作品では、「ユースホステル」「ホットパンツ」など、現代につながるものも話の中に登場します。確認すると1956年作。もはや戦後ではない時代でした。
亡くなる1976年まで、100以上の作品を生み出し続けてきたわけで。改めて、そのすごさに感じ入りました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです