印象の違い、マウントをとろうとするのは自信の無さの表れ、心理描写が少ない意味~「三幕の殺人(ポワロ作品)」
➀日頃、マスコミ報道に触れていると、日々、世の中ではたくさんの事件や事故が起きている、身の回りには危険な事ばかりが満ち満ちていると錯覚してしまいがちです。
繰り返し報道されることで、発生件数などが、どんどんと増えている、大きくなっていると「感じて」しまいます。
しかし、データから言うと、日本国内の殺人事件件数は、バブル崩壊時以後「4分の3」に減少しています。
2016年には統計を取り始めて以来、初めて300人以下になりました。(もちろん、減ってきているとはいえ、200人以上いるという事実は重い数字ではあります)
さらに、犯罪件数を見ても平成14年の280万件をピークに、平成30年には約82万件とピーク時の7割以上も減っていることがデータで示されています。
2021年まで19年連続で減少しましたが、2022年、2023年は増加しました(コロナ禍以前の生活に戻ってきて、人との交流も増えてきたことが要因の一つではないかと言う見方がなされています)
やはり、悪いニュースは注目されやすく、そして広まりやすい特徴があります。また、専門家や行政機関も、そういった「事件」を取り上げながら、注意喚起することが多いので、繰り返し報道されるという面もあります。
また、ある意味、発生件数が減り、被害が減ってきたからこそ、逆に起きてしまった事件がより「目立つ」ようになり、注目されやすい傾向も高まります。そのため、
印象として「世の中が悪い方向へ行っていると」と感じ、誤解しやすくなります。
ミステリーなどの物語の中だからこそ、様々な事件が多発しますが、実際の世の中は違います。
「君が誰かに殺される確率は、宝くじに当たる確率より低いのだ」と言うことになります。
②小説の中で語られる人間描写に、人の本質が描かれていることが多数あります。次のような文を見つけました。
ひょっとしたら、マウントをとってくる人と言うのは、やはり、自信がなく、自分はだめだ、人より劣っていると感じている(そして、それを自分で認めたくないがために)、周りの人よりすごいということをアピールしたい、あるいは、認めてほしいという気持ちが大きくなるのではないかと思いました。
だから、人の事を下げて、自分を上げようとか、少しでも自分をよりよく見せようという気持ちがはたらくのかもしれません。本当に自分の価値を自分で感じていて、自信がある人ほど、どっしりと落ち着いていますし、そこに何か「存在感がある」と周りの人が思うのではないかと思います。
そういえば、こんなことも書かれていました。
この作品は、1934年に発表されています。
1918年~1920年にかけ全世界的に大流行したスペイン風邪。
風邪とは言いますが、「インフルエンザ感染症」です。
スペイン風邪は、現在のコロナと似たような症状だったようで、症状が悪化すると重度の肺炎を起こして呼吸困難に陥ったそうです。また、弱毒化した後も、後遺症として、味覚や嗅覚がうまくはたらかなくなることも多かったようです。何か今に通じる内容で、びっくりしました。
③ 「三幕の殺人」のあらすじは次の通りです
最終的な事件解決は、主人公のポワロが担いますが、それまでは、「素人探偵3人」が大活躍します。
ポワロはあくまで脇役に徹する形です。これだけでも、珍しい形式でおもしろいのですが、さらに、アッと驚く犯人で、また、読み返してしまいました。
すると、どうして人物描写が薄味で、物語の展開が淡々として動きが少ないのかなどの「仕掛け」の意味が分かって、「にやり」としてしまいました。
似たトリック、物語の構成の話はありますが、さらにブラッシュアップされている気もしました。さすがクリスティ先生!と言った感じでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです