江戸幕府が始まって最初に改易になった人
藩主である大名はその藩のトップではあるが、大名の上には幕府があるので、幕府が決めたルールに逆らうと改易という所領を没収されて大名としての身分を剝奪されることがあります。
他にも後継ぎがいなく改易になったり、お家騒動をおこして改易になったりするなど改易になる理由は色々あります。
改易になってしまうと、その大名だけではなく家臣もクビになってしまいます。そのクビになった大名、家臣は浪人になってしまいます。
3代将軍徳川家光のときまでは改易される大名の数がとても多かったです。
なぜなら幕府による全国支配を確立するため、些細なことで改易処分を下していたからです。
そのため仕事がなく路頭に迷う浪人がとても多く、社会不安を引き起こしていました。
しかし、家光死後に4代将軍家綱の治世になると由井正雪が浪人救済を掲げて、由井正雪の乱を起こしたため幕府側も今までのやり方を改め、できるだけ改易しないように努めました。
改易について話をした所で、江戸幕府が1603年に開かれてから一番最初に改易となった大名は果たして誰なのでしょうか?
関ヶ原の戦いの戦後処理で減封された毛利家でしょうか?それとも豊臣家でしょうか?どちらも家康が警戒している存在であるため真っ先に改易になりそうではあります。
しかしどちらでもありません。
一番最初に改易になったのはなんと家康の息子なのです。
まさかの身内だったのです。
理由は後継ぎとなる子供ができなかったことにあります。
名前は武田信吉といって家康の五男として1583年に生まれました。
1587年に信吉は武田氏の養子に入りました。
1590年には豊臣秀吉の命令で家康が関東へ国替えとなったことに伴い信吉には下総小金3万石が与えられることになります。
その後は下総佐倉10万石が与えられ、最終的には水戸15万石が与えられます。
こうして信吉は水戸藩主となります。
しかし、水戸藩は信吉の弟にあたる徳川頼房が後に水戸藩主になっており頼房の子孫が代々水戸藩を世襲していったため頼房が最初の水戸藩主というイメージが強くなっています。
しかし、一番最初に水戸藩主になったのは紛れもなく信吉です。
※信吉の後は頼房が水戸藩主になる前に、後の紀州藩初代藩主である徳川頼宣が水戸藩主になっている
こうして水戸藩主になった信吉ですが、江戸幕府ができてから半年後の1603年に亡くなってしまいます。
このとき信吉には後継ぎがいなかったので改易となってしまいました。
身内に対しても容赦なく改易する所に幕府の恐ろしさを感じます。
まぁ身内にだけ甘くしたら他の大名に示しがつかなくなるからなんでしょうね。
江戸幕府でよく話題になる改易の始まりは驚くことに家康の息子信吉から始まったのでした。
記事を読んでいただきありがとうございました。
ではまた!
参考にしたもの
大名廃業 お取りつぶしお家断絶の裏側 安藤優一郎著
シリーズ藩物語水戸藩 岡村青著
ウィキペディア