らいの日常|歴史好き大学生

2005年生まれの大学生です!大学での話や高校時代までのことについての話をこのnoteで語ろうと思います。 また自分の趣味(主に歴史の話題)のことについてや、自分が感じたことについても話していきたいと思っています。 よろしくおねがいします!

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せっかくの機会なので、僕の小学校1年生の時の思い出を話してみようと思います

たまたま部屋を整理していたら僕の小学校1年生の入学式の時の写真が出てきました。 しばらくその写真を眺めていると1年生の時の思い出が蘇ってきました。 この思い出を誰かに伝えたいと考えていたところ、 せっかく発信できるnoteがあるのだから、積極的に使っていこうということから今回は僕の小学校1年生の時の思い出について話したいと思います。 この記事を読んでくれた方で、 自分の1年生の頃はこんなだったな~と思いだす機会になってくださったのなら、僕がこの記事を投稿することは大

    • 僕の小学生の時のぼっち体験を話したいと思います。

      僕は小学校5年生と6年生の時期にぼっちを 経験したことがあります。 こう書くと小学校のクラスの中でぼっちだったのか?と思われるでしょうが、実は違います。 なんと習い事先でぼっちになっていました。 僕は小学5年生からサッカークラブに通い始めたのですが、そこで気が付いたらぼっちになっていました。 ちなみに6年生の最後まで仲の良い友達はできませんでした。 ぼっちあるあるの2人1組の辛さも体験しています。これについては後に詳しく話したいと思います。 ではサッカークラブの

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      • 気付いたら大人に近づいてしまっているんだなーという話

        先月の9月に誕生日がきて、自分は19歳になりました。 もう来年で20歳になってしまうわけです。 なってしまうと書いていることからわかる通り、自分は20歳になりたくありません。 20歳になるということは世間一般でいう大人になってしまうのです。 小さいころはあんなに早く20歳になりたいといっていたのに、今では20歳になりたくありません。 今回の記事は小さいころに大人になりたいと思っていた理由と、 今は大人になりたくないと思っている理由について書いていきたいと思います。

        • 幕末には3つの改革があった

          幕末とは一般的に1853年の黒船来航から1869年の戊辰戦争終結の16年間とされています。 その16年間の間に3つの改革が行われました。

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          1日中出かけているのが 疲れるのはもちろんのこと、 1日中家にいて何もしなかったとしても それはそれでなんだか疲れてしまいます。 やっぱり1日3時間〜5時間ぐらい外出するぐらいがちょうどいいのかもしれないです。

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          宛名のないメールというサイトを使ってみた感想を話します

          突然ですが、この記事を読んでくれているあなたは悩みがあったときに誰かに相談していますか? いや悩みはたくさんあるんだけど、誰にも相談できないなと思っている人もいるでしょう。自分も人に悩みを相談することができないタイプなので気持ちはわかります。 ただ、誰にも相談できずに悩みを一人で抱え込むのは結構つらいんですよね。 そんな時におすすめなのが、 宛名のないメール というサイトです。 このサイトはネット上にあり、悩みを書いて投稿するとしばらくして誰かから反応をもらえるこ

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          幕末の将軍上洛は久々の上洛だった【229年という期間】

          江戸時代における将軍の上洛は 1634年の寛永期に3代将軍徳川家光がした以来長らく行われませんでした。 ※上洛=京都にいくこと そして時は流れ幕末になると1863年に14代将軍の徳川家茂が上洛しました。 目的は時の天皇である孝明天皇に、攘夷実行を誓うためです。 ※攘夷=外国人を追い払い国内に入れないこと 家茂の上洛は、将軍の上洛としては久々であり229年ぶりだったのです。 この出来事は話題を呼んだそうです。 話題となった理由は、やはり将軍の上洛という出来事が22

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          豊臣秀頼と徳川家継の決定的な違い

          歴史上の人物に豊臣秀頼と徳川家継という人たちがいます。 豊臣秀頼は(1593~1615)豊臣秀吉の子供として生まれました。 秀頼が6歳のときに父である秀吉が亡くなってしまいました。そのため秀頼は数え年6歳という幼少の身で豊臣家の当主になりました。 もちろん6歳で政治は無理なので、豊臣五大老と五奉行とよばれる人たちが秀頼の補佐をすることになっていました。 しかし、豊臣五大老の一人である徳川家康が力をつけ1600年の関ヶ原の戦いで五奉行の一人である石田三成をやぶりました。

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          【血縁関係シリーズ⑩】松平容保と松平慶永の血縁関係

          幕末には松平容保と松平慶永という人物が歴史の表舞台に登場します。 松平容保(1835~1893)といえば、高須四兄弟の一人であり会津藩の藩主になりました。 後に、あの有名な新選組が会津藩の庇護下に入って活動をすることになります。 松平慶永(1828~1890)といえば、越前藩の藩主であり幕末の四賢侯の一人にも数えられます。春嶽とよばれることもあります。 この2人は1862年の文久の改革においてある要職についたことで、有名です。 容保は京都守護職、慶永は政事総裁職という

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          幕末や戦国時代は学ぶ分にはおもしろいけどそれらの時代で暮らしたくはない

          幕末や戦国時代は日本史の中で人気がある時代だと思います。 どちらの時代も共通することが英雄とよばれる有名な人物がたくさんいたことでしょう。

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          【血縁関係シリーズ⑨】藤原道長は中大兄皇子の子孫でもあった

          藤原道長と中大兄皇子はどちらも小学校の歴史の教科書に登場するほど有名な人物です。 中大兄皇子(626~672)は飛鳥時代の人物であり藤原道長(966~1028)は平安時代中期の人物です。 中大兄皇子は父にあたる舒明天皇と母である皇極天皇の子供としてうまれました。 父母両方天皇というかなり高貴な身分の生まれです。中大兄皇子が生まれた時の世の中は、蘇我本家が権勢をふるっておりその力は天皇をもしのぐほどだったといわれています。そして色々な悪事を働いていたといわれています。

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          「失敗は成功のもと」という理屈を素直に受けとめることができない

          「失敗は成功のもと」という言葉はよく聞きますよね。 失敗したことを次に生かせば、 成功の道が開けるよという前向きな言葉です。 学生時代に失敗を恐れずどんどん行動してたくさんの失敗を経験しなさいと言われた方も中にはいると思います。 自分もこういった言葉は耳にタコができるほど聞かされました。 小学校、中学校のときの校長先生なんかは全校集会のときに特に言っていました。 他には小学校4年の時の担任の先生、小学校6年の時の担任の先生、中学2年の時の国語の先生、自分が小学校低

          「失敗は成功のもと」という理屈を素直に受けとめることができない

          土方歳三は明治まで生きていた

          突然ですが、土方歳三(ひじかた としぞう)という人を知っていますか? 幕末期に新選組の副長として活躍しました。池田屋事件では新選組局長である近藤勇のもとにかけつけ、出入り口を固め、多くの尊王攘夷派の志士を取り締まりました。 ※尊王⇒天皇を敬う考え  攘夷⇒外国人を追い払おうという考え 歳三はとても厳しかったために周りの人から鬼の副長と呼ばれ恐れられていました。 戊辰戦争では新政府軍と戦い、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の最中に銃弾をうけて亡くなってしまいました。

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          河井継之助は無理をしていたのかもしれない【幕末の話】

          幕末に河井継之助(1827~1868)という人物がいました。 継之助は長岡藩の家老(藩の重役)として実権を握り、長岡藩の藩政改革に務めました。その後、戊辰戦争のうちの一つである北越戦争という戦いにおいて長岡藩は旧幕府側として戦いました。 継之助はもともと中立派だったので戦おうとはしていませんでした。新政府軍が会津を攻めようと長岡藩まで近づいてきたので継之助は会津と新政府軍を仲直りさせようとするのですが、新政府軍からこれを断られてしまいました。そのため継之助は旧幕府側として

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          豊臣秀吉は諦めていたんじゃないかと思う話

          あなたは豊臣秀吉をご存じですか? 豊臣秀吉は戦国時代に活躍した武将です。 織田信長に仕え数々の戦で信長に貢献し、 信長が本能寺の変で自害した後は、本能寺の変を起こした明智光秀を山崎の戦いで倒しました。 その後は織田家に代わって秀吉が力をつけ、ライバルの柴田勝家を賤ヶ岳の戦いでやぶりました。 それからは他の大名を従わせるために、秀吉に従うことを拒否した大名に対して秀吉は戦いを仕掛けて降伏させることを繰り返しては、次々と大名たちを従わせることに成功しました。 その成果

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          大村益次郎の逸話から考えるコミュニケーションの取り方

          ある日村人がとある夏の日に「今日は暑いですね。」と言いました。 それに対して、 「夏は暑いのが当たり前です」と答えた人物がいます。 この答えた人とは、幕末期に活躍した大村益次郎です。 大村益次郎は長州藩出身で軍人として活躍し、 倒幕運動に貢献した人です。 西洋兵学を学びそれを実践に活かし、第二次長州征伐や戊辰戦争で幕府軍を次々と打ち破りました。 戦において軍を編成したり、作戦を立案することに関して天才レベルにすごい人だったと言われています。 しかし、益次郎は天

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