週刊「我がヂレンマ」<1月27日号>
季節が冬なって久しく、寒冷極まるというのに、一向に鍋を食べない私。
鍋に白菜と豚肉をつっこみ、出汁で煮て、灰汁を取って、ポン酢で喰う。
簡単なこと。
しかし、食べない。何故か。単純に調理が面倒臭いからだ。日曜日の夕食は土曜の総菜の残りか、刺身。平日は納豆と玉子、タコわさび、ソーセージなので、徹底的に調理しない。
買い物の際、結局、いつもの商品に手が伸びる。
そして困ることがない。
だからいいのだ。
しかし、ひと冬で鍋ゼロは淋しい。
それはそうと、今週のコンテンツ(毎週おなじ)。
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<月曜、ひとり歌会>
前置きはこれまで。
時間を節約せねば、短歌の質が落ちるので。
<メモについての解説と考察>
「鼻糞を育てる」
暇なとき。鼻をほじるでしょう。すこし取れても、ティッシュで処理せず、ほじりを継続する。雪だるま式に育つ鼻糞を愛し、さらにほじる。
こんなに鼻の穴にあったんだなと感慨深げに、ティッシュでくるみ、塵箱にシュート。大体外れる。今年はコントールを磨く。
「ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865年6月13日‐1939年1月28日)」
アイルランドの詩人・劇作家・思想家。散文、批評も書き、ジャーナリスト、オカルティストであり、独自の思想を展開した。
現代詩の世界に新境地を切り拓き、20世紀の英語文学・現代詩において最も重要な詩人の一人とされ、20世紀の英語圏で「最も偉大な詩人」という評価も定着している。生涯の多くをイギリスを拠点に活動した。
ケルト復興運動の立役者の一人であり、幼少の頃から親しんだアイルランドの妖精譚などを題材とする抒情詩で注目され、民俗学の方面でも優れた業績を残した。
アイルランド独自の演劇はイェイツとオーガスタ・グレゴリーの活動に始まり、彼は戯曲を書き、仲間と劇場を設立し、マネージャーとして運営して、アイルランド文芸復興の担い手となった。
「群盲象を評す」
凡人は、大人物や大事業の一部分しか理解できないというたとえ。
盲人たちが象を触って、それぞれが触れた部分だけで象全体について意見を持つ様子を描写している。
物事は多面体かつ多層的にできている。一面の、それも表面だけ見て判断し、見誤る人間が多すぎる。思慮深く賢明な人でも、時と場合によっては、群盲象を評すで間違うかもしれない。
「ハイパーたいくつ」
松田いりのさんの、去年11月に発売されたリリカル系日常破壊小説。
作家を問わず、各界から賞賛がやまないみたいです。
まずタイトルがいいです。ハイパーという横文字の勢いと、平仮名でたいくつの組み合わせが素晴らしい。日常でありながら、どこか秘めた激情があるような、そんな不穏を感じる。
買おうかな。
「自立型AI」
自立型AIエージェントとは、人間が設定した目標に向かって自ら判断し、行動するAIシステム。人間の指示がなくても、目標達成に必要な情報収集やタスクを自動的に判断して実行する点が、生成AIと異なる。
近年では、高度な対話が可能なAIエージェントが登場し、ビジネスで活用されている。
実際に、調査会社マーケッツアンドマーケッツによると、自立型AIエージェントの市場規模は2024年に約8,007億円、2030年には約7兆3,947億円まで拡大すると予測された。
(※2025年1月時点での為替レート:1ドル157円で計算)
世界において市場規模の拡大が予想されるため、日本においても活用が期待されるでしょう。
「アーミッシュ」
アメリカ合衆国のペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。アメリカのキリスト教者共同体であり、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。
原郷はスイス、アルザス、シュワ―ベンなど。2020年時点での推定人口は約35万人とされている。
アーミッシュとメノナイトはルーテル派(ルター派)とツヴィングリ派の新教再組織から分かれて、スイスのチューリッヒで生まれた一派で、宗教的迫害を受けたのちにドイツ南西部や、フランスのアルザス地方に移住した。
キリスト教と共同体に史実である厳格な規則のある派で、創始者のメノ・シモンズの名前をとってメノナイトと呼ばれた。そのメノナイトの一員であったヤコブ・アマンは、教会の純粋さを保つために、ほかのグループから離れて暮らすことを考え、更に保守的な一派を作った。
アーミッシュという呼称は彼の名に由来する。ライフスタイルは少し違うが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じで、ひとくくりにアーミッシュと呼ばれている。
「廂間(ひあわい)」
建てこんだ家の廂(ひさし)と廂とが突き出ている狭い所。日の当たらない所。
「――の風が窓から流れ入って(荷風・つゆのあとさき)」
戦前戦後の古典文学に出てくる、難読単語。
趣きのある言葉がすきです。だからメモしたのでしょう。私自身は使用しませんが、知識として留めておきます。
<購入した書籍の紹介>
『酒・阿片・麻雀』(萬里閣書房版)(1930年)
井上紅梅
昭和五年九月十日 印刷
昭和五年九月十五日 發行
昭和五年九月二十日 再版
昭和五年九月二十五日 六版
定價 二圓三十銭
著者 井上紅梅
発行者 小竹卽一
印刷所 共同印刷株式會社
製本所 共同印刷製本部
発行所 東京日本橋東京驛東口角 振替東京七七二一〇
萬里閣書房
井上紅梅(1881‐1949)による大正の「中国嫁日記」
井上紅梅(井上進)は魯迅の翻訳をしたことで中国文学者として、また麻雀を日本に初めて紹介した人間として知られているが、戦後派「支那通」として忌避される存在となり、その著書も埋もれていた。
この「酒・阿片・麻雀」は1920年代中国で中国人女性と結婚した井上が彼の周りの事を細やかに描写したものである。「紅梅」という号も妻の名前「碧梅」に呼応させて付けた名前である。
サブタイトルとして付けた「井上紅梅の中国嫁日記」にあたるのがタイトルにもなっている「酒・阿片・麻雀」である。
中国嫁というよりは日本婿のような形だが、その生活がこまかく描かれている。
まず発行が昭和五年(1930年)ということに驚く。現在kindleでのみ読める希少なもの。やはり、戦前の世界にはロマンがあり、当時の中国のカオスというか、別世界が垣間見れそう。
『iPhnck 10』(2018年)
ヴィクトル・ペレーヴィン
東海晃久=訳
「超ハイテク性具(ディルド)が演算する、
美術と歴史と犯罪と映画と小説の幻惑的立体!」
飛浩隆
『iPheck 10』はここ十年で最高のペレーヴィン長篇
――ガリーナ・ユゼフォーヴィチ
『iPheck 10』は『カーマ・スートラ』のように、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』のように、マルクスの『資本論』のように繊細な書物である。
――クセーニヤ・ロジヂェストヴェンスカヤ
性交が禁じられた近未来、
アルゴリズム警官に課せられたのはこの世界との対決だった――
現代ロシア文学の旗手による
最新にして最高の悪夢。
ベールイ賞受賞の巨編。
21世紀後半、世界はジカ3と呼ばれる感染症により、肉体を介した性交渉が禁止され、iPhuckと呼ばれるガジェットがもっぱら重宝されていた。
アメリカは南北に分断され、ヨーロッパはイスラム化するなか、戦いに明け暮れる中国と旧ヨーロッパとの間に挟まれながら、クローン皇帝の戴冠によって再帝国化したロシア、警察に所属するアルゴリズムであるポルフィーリィ・ペトローヴィチは、マーラ・チョ―にレンタルされて21世紀前半の芸術様式「ギプス」の調査を命じられる。
その過程でマーラの怪しい過去とともに皇帝をめぐる暗黒があきらかになり、ついにポルフィーリィとマーラのすべてを賭けた対決がはじまる――
中々難解そうな、とっつきにくそうな、相当に変わった小説らしいです。7年前に発売されたもので、現在、再版の予定はなさそう。
私は本当に、変わったモノが好き。物好きです。
『コンピュータ・コネクション』(サンリオSF文庫)(1980年)
アルフレッド・ベスター
野口幸夫=訳
不死人(モールマン)の一人ギグは有能と認めた人物を殺しては仲間に加えていた。そして天才的なコンピュータ技師ゲス博士が狙われた。彼は人口爆発を解決する冥王星計画を進めていた。折から実験冷凍衛星(クライオカプセル)が帰還してきたが、飛行士(クライオノート)は両性具有の胎児と化していた。計画は失敗だった。だが、そこに隠されていた驚異的な発見を報告する途中、博士は癇癪の発作で死んでしまった。実は殺されたのだ。早速、死体はエレクトロ・コンピュータ基地に運ばれた。ずたずたに寸断された脳細胞をコンピュータでつないで不死人(モールマン)にしようというのだ。博士は蘇生した。だが、そこから奇妙なことがつづいた。地球すべての銀行、通信、鉄道などを制御しているエクストロが反乱しはじめたのだ。どうも彼の脳細胞とエクストロに、エクストロが博士になってしまったらしい。ギグの予想もしないことだった。だが、不死となった博士をどう始末したらいいというのか?
サンリオSF文庫は、サンリオが1978年から1987年にかけて刊行していた文庫のSF叢書。終刊時点でも根強い人気があったが、商業的には苦戦を強いられた。
ニューウェーブ作品、女性作家のSF作品、英米以外のSF作品、SF以外の怪奇小説、ファンタジー、ミステリーなど幅広いジャンルの作品を刊行していることも特徴。
一部、プレミア化した作品は10000円を超えるなど、現在でもコレクターのいる、SFのオールドファンの中では伝説的な存在。
ちなみにコレは2000円。
完全に出会い。古書店で偶然の。
『塔』(1984年)
福永武彦
福永文学のみずみずしい原点
戦後文学の青春期を飾る、鮮烈でみずみずしい短編集。
終戦直後の荒涼とした日日を背景にもつこれらの作品は、
それでも他の同時代の作品群とは截然と分れ、
豊かな詩的イメージにみちている。
清冽な魂の遍歴をつづる「塔」をはじめとする諸篇は、
打ちひしがれた生によってはじめて見出される
雨、雪、河、湖、といった影像によって、
読む者の心を深くとらえる。
福永文学の原点がここにある。
「独自の出発」
加賀乙彦
ここに集められた福永武彦の初期の短篇小説から立ち昇ってくるのは戦争直後の荒涼とした雰囲気である。戦争の悔恨を深く背負い、人々は貧しく、欠乏と飢えに苦しんでいる。この特徴は、戦後の平和を喜び、新しい時代に希望を見出した戦後文学の、エネルギーと明るさに充ちた作品群や戦場を舞台にした反戦嫌戦の主題を持つ作品群の中にあって、截然と際立つ福永武彦の世界である。
とりあえず日本文芸を買おう。ということで手をとった一冊。
これまた知らない作家。ほとんど直感と、書き出しでピンときたら、といったテキトーな買い方。それでいい。それがいい。
『呪われた部分 有用性の限界』(2003年)
ジョルジュ・バタイユ
中山元=訳
本書は、20世紀の重要な思想家ジョルジュ・バタイユが約15年にわたり書き継いだ、書籍『呪われた部分』の草稿原稿、アフォリズム、ノート、構想をまとめたものである。栄誉、笑い、供犠、エロティシズムなどのさまざまな形の浪費についての断章は、バタイユの未完の体系を浮き彫りにしながら、『呪われた部分』『至高性』『エロティシズムの歴史』などのバタイユの思想の根幹をも宿している。バタイユの思想の源流とエッセンスをたどる待望の書、新訳で文庫に登場。
1000円でした。
文庫の古本にしては高め。購入後、カバーの切れと本体の角の劣化を、爪楊枝と木工用ボンドで修復。バタイユは名前だけ知っていた程度、表紙のクールなデザインに惹かれて買いました。
そう、ジャケ買いです。読みます、こえも縁ですから。
『デュシャン ミロ マッソン ラム』(2002年)(人文書院)
ミシェル・レリス
岡谷公二=編訳
ブルトンやバタイユと交流のあった若き詩人、『幻のアフリカ』を残した民俗学者、特異な語彙感覚を駆使し遠大な『ゲームの規則』を著した自伝作家。文学者、民俗学者として著名なレリスには美術批評家としての顔がある。本書は、レリスのこの知られざる一面を初めて紹介した『ピカソ ジャコメティ ベイコン』(1999年)の続篇。
前作がリアリズムの三巨匠を扱ったのに対して、本書は四人のシュルレアリスム画家が主人公になる。そして今回も「愛するものだけについて語る」というレリスの原則は貫かれている。
デュシャン、ミロ、マッソン、ラムについて書かれたほぼすべてのテクストを独自編集。カラー口絵と詳細解説を付す。
これは「BOOKS青いカバ」で会計の際、店主の小国さんから「オマケ」として貰った書籍。バタイユを買ったから、交流のあったレリスをくれたのかなぁ。古書店、面白いこともあるもんです。
<月曜、ひとり歌会>
「五・七・五・七・七」「季語はいらない(使用可)」という最低限のルールを守り、言葉を研く目的で始めたこの企画。
もう午後10時を過ぎて時間がないので、前置きを書いている暇などない。
本当に、もう書く。
〇悪いとこ直したとして意味はなく モグラたたきの様相呈す
〇ぶち壊し あれやこれやを放り投げ 見ないことにし心押し込む
〇謎多きアナタの影を追う日々は不思議なもので爽やかですよ
〇アルバイト「こんなもんかな」虚ろな目 浪費してます退廃します
〇爆弾を光りに照らし 考える 狙いを定め笑う警官
〇「特別よ」「君だけだから」口走る 煩悩燻る灯る深更
〇お留守番わくわくしてた時過ぎて 秘密の時間弾けて消えた
〇街はずれ そこは誰かの地元だな 寂れただとか大きなお世話
〇月曜日「憂鬱ですか」違いますそれは偏見 無意味な言葉
〇赦されて見放されたら風が吹く いくらなんでも都合よすぎな
うは。
終わった。
通常よりも勢いと、適当さが迸った歌となった。最早思い付きの羅列であり、短歌と言ってよいものか。
この企画によって、何が鍛えられるのだろう。
反射神経と思い切り。
そんな瞬間的、刹那的に言葉を紡いだところで意味があるのか。
自問自答が終わらない。いつものことだが、中々辟易する。慣れてしまったような気もするし、嫌悪感もないわけでなし。心を震わしたところで、状況は変わらない。
せっかくバタイユの『呪われた部分 有用性の限界』を買ったことだし、頭が良くなった気がするまで読んでみようか。
いや、
明日から三日連続ショートショートだから、そっちのネタを考えた方が生産性があるでしょう。
そういうことです。
終わりです。