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ブッサイクな写真を撮ろうか
写真は、撮るのも撮られるのも下手くそだ。絶望的に。良い出来栄えの写真なんて撮れないし、写真の写りは最悪で、いつも感想は「私ブッスっ」だ。言わないけれども。
でも私は、コソ撮りするのが好きだ。コソ撮りされるのも好きだ。その際、最早写りのクオリティは問題ではない。気づいたら写真に収められてて、気づいたらカメラを向けている、その事実がたまらなく好きなのだ。
人はなぜ写真を撮るのか。突然に壮大な問いだが、とてもシンプルに考えるなら「今この瞬間を残したい」のだと思う。
今日、誰かと、何処かを、訪れたこと。
食べたもの。
見たもの。
ただただ、楽しいという、その出来事。
何故なのか、人は写真が好きなようである。
もっぱらメモの代わりとしてスクショばかり溜めている私のスマホも、アプリを開けば、そんな無機質な画像の宇宙に、星の如く、目を引く絵がある。ところによれば、群星のように、それはもう沢山。
何故なのか、そこに写る私の好きな人たちを思うと、あゝ人は写真が好きなようである。
一番手前にあるのは、スマホを手にこちらを向いている大好きなあのこの写真。実は彼女も私を撮っている。
次には、10人余りの大好きな人たちが、みんな揃いも揃ってアルコール片手に大騒ぎしている写真。部活のみんなでパーティールームを借りたあの日。
その次は、キャンパスで日陰に隠れてアイスを食べている大好きな友3人の写真。お昼休み早々、ご飯も食べずにまずアイス。
そして、その大好きなみんなが撮ってくれた、いちいち間抜け面を晒している私も紛れ込んでいて。
「私ブッスっ」って思うけど、ニヤニヤするくらい愛おしい。
カメラを向けるとき、正直考えていることなんてない。だから上手く撮れないのかもしれない。
でもきっと、上手く撮ることなんて重要ではないのだ。「うわやっば。好きだなぁ。大好きだなぁ」そんなフワフワした暖かい何かに心満たされるとき、もう撮って撮って撮りまくる。
「今この瞬間を残したいから」切実に。
だから、コソ撮りされた自分の写真も好きだ。私を写してやろうと感じてくれて、好きな人が撮ってくれたその事実が、素直に嬉しい。最高に。
そこには大好きが閉じ込められているのだと思う。
時々、撮ってる途中でバレることがある。すると彼らは、「あーーーー撮ってる!」と遠くから叫び腕をブンブン振り回したり、途端にキメ顔でポーズしたりする。
そんな瞬間の彼らの仕草と表情はかなりイケている。
少しだけ、そんな人たちに囲まれている葉山葵々という人を大事にしてやらないとと思う。
同じくらい、私にカメラを向けられる大好きな人たちには、自分自身のことを大好きでいてほしいと思う。君たちが素晴らしい人間なのは私が保証するもの。
何故なのか、私は写真が好きなようである。
特に不意打ちのブッサイクなみんなの写真が。