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遠い空の向こうから

 おはようございます、当方128です。

 とんでもない長さの読書感想文が出来てしまいました。こちらの、を。様の短編小説を読んでの感想です。

 あくまで企画参加作品なので、私が感想をUPすることについては、主催者みょー様と、作者を。様ご本人に事前確認を取らせていただきました。御二方、改めてありがとうございます。


 まず、みょー様の感想記事はこちらになります。


 そして僭越ながら私からも感想を言わせて下さい。

「悔しい程に面白い」「学ぶことがあまりにも多すぎる」という2点が率直な感想です。

 以下、具体的に説明しますが、個人的見解も多く含まれます。もし間違いがあったり深読みしすぎでしたらすみません。コメント欄にて遠慮なく訂正して下さい。

 引用もさせていただきます。

春休み。空がずっとずっと遠くまで青く、桜がヒラヒラと舞う中、僕らはまだ見ぬ土地を目指していた。

を。様『小説|夢見る兄ちゃん』より引用(以下略)

 もうこの時点で私はこの作品に取り憑かれました。子どもの冒険というワクワク感、あの頃の自分を思い出し切なくなるノスタルジー。相対する2つの感情が交錯する不思議な気持ち。
 私の苦手とする情景描写も簡単にクリアしています。大人になって社会の荒波に揉まれていると、空が青いことも、遠くまで無限に続いていることさえも忘れてしまいます。つまり小学生の純粋な心から来る描写なのですが、を。様は大人でありながら小学生の気持ちに寄り添えているということです。


 ……すみません、この調子だと長くなりそうです。夜は寒いので、温かい飲み物を手元に持ってくることをお勧めします。


弟の悠太が生まれるからお母さんがお迎えに来れなくなるって理由で、僕は年中でやめてしまったけれど。


 私の「地の文」に対する考え方も、ここを読んで大きく変わりました。
 もし文語表現にするなら「来られなくなるとの理由で」です。しかし、一人称が小学2年生なので「来れなくなるって理由で」のほうがむしろ自然です。文語だと背伸びした文章になり逆に違和感を覚えます。
 地の文はキャラに寄り添って良いのだと気付かされました(もしかしてそれが普通?)。
 小学生の気持ちに寄り添えるを。様にとっては、ただ気持ちのままに書いただけなのだと思います。あるいは、小学生ならどう言うのかなと考えながら書いている。いずれにせよ初の創作でそれが出来るのは凄いです(語彙力)。

 それに気付いてから続きを読み進めると、純粋な心で作品世界に集中している自分が居ました。自転車を自慢したり、駄菓子屋に立ち寄ったり、小学生らしい可愛らしいエピソードが私の荒んだ心をほっこりさせてくれます。

ガシャン!僕らの右後ろで大きな音がした。
「あっ」
僕らより小さい女の子が自転車で転んだようだった。

 ヒロイン(?)の登場をあえて駄菓子屋のシーンだけにすることで、学区外という見知らぬ土地での「一期一会」を表しています。その場限りの出会いだからこそ印象強く、少年の記憶には残り続けるものです。何故か私の記憶にも彼女は強く刻まれています。

やばい。来た道がわからない。
さっき来たのは右側からだったけど、その次はどこで曲がったっけ?
涼介は今にも泣きそうな顔をしている。
日は沈みはじめ、辺りがオレンジ色に染まりはじめていた。

 迷子という形で物語が動き始めます。夕焼けという本来美しいはずの風景が、子どもにとっては泣きそうなほど不安に感じるというのも感慨深いです。

遠い土地まで冒険に出たつもりだったが、意外と近場で終わってしまったのだと、ほんの少しがっかりする。
(中略)
お母さんの匂い。安心する。どうしてか涙が滲んだ。

 それまで「ワクワク」「かっこいい」「大笑い」など前向きな感情が続いた主人公が、迷子になって以降、特に松本先生や母親などの大人が登場する場面で「がっかり」「涙」など弱々しくなっています。大人の前では自分はまだ幼い子どもであると気付かされたのでしょう。この変化をさりげなく書けるのも羨ましいです。

 で、心情の変化をここで終わらせていないのがポイントです。

マ……いや、お母さんの呼ぶ声が三階まで響く。ゲームはやめて、手伝わなきゃ。
なんたってお母さんのお腹の中には、2人目の僕の弟がいるのだから。

 

 え、赤ちゃん!? この瞬間から物語の持つ意味が大きく変わります。単に子どもが冒険する話ではなく「弟の誕生をきっかけとする兄の心の成長物語」になるのです。
 あ、その前に、

……ぽこぽこ!


 ここ好き。流行らせたい。ぽこぽこ!

 ……失礼しました。話を戻します。

お母さんは湊のお世話で大変だから、お父さんが帰ってくるまでは僕が悠太のお世話係。一緒にアニメ見たり、本を読んであげたり、お絵描きしてる横で宿題したり。たまにママと遊ぶ!ってぐずって大変だけど。

「なんだか、前よりお兄ちゃんになったね」
お母さんが僕の頭をなでる。
うん、だって僕、なんでもできるお兄ちゃんになるから。


 単なる兄と弟の2人の話にせず、もう一人「悠太」を間に挟んだ理由がここにあります。既に「悠太」という弟が居ながら、当初は兄の自覚を持っていなかった(悠太が産まれた時点で僕はまだ4歳? だとすれば自覚を持てないのも分かります)。それが「湊」の誕生をきっかけに「3兄弟の長男」としての責任感が芽生え「前よりお兄ちゃんになった」のです。思っていたより深い話でした。


俺は殴って悪かった、と少年の頭に優しくポンと触れた。

 そして終盤は一人称が松本先生になります。まず、冒頭のお題として決められている暴行を謝罪し、「頭に優しくポンと触れた」ことでフォローしたのはを。様らしいアンサーなのではないでしょうか。

 こちらもちゃんとキャラに寄り添った地の文になっています。小学生と大人の地の文の書き分けがしっかり出来ていることは、「空」の表現の違いに着目すると分かります。

【僕】
春休み。空がずっとずっと遠くまで青く、桜がヒラヒラと舞う中、僕らはまだ見ぬ土地を目指していた。

【松本先生】
窓辺にもたれかけ、空を見上げる。一面に、目に染みるくらいの青。
夏休みは、長くて、短い。どうか少年にとって、実りのある夏休みになりますように。

 僕が「遠く」という見えない部分まで無限に青いと思っているのに対し、松本先生は「一面」という見える範囲でのみ言及しています。これが子どもと大人の違いです。大人は無限も永遠も無いのだと知ってしまっています(当方128調べ)。

 しかもこれ、実はダブルミーニングで「春の空」と「夏の空」の違いにもなっています。これから新しいことが始まる、無限の可能性を未来に秘めている「春休み」と、限られた時間だからこそ今を思い切り楽しむ「夏休み」。この無限と有限の違いを「空」だけで書き分けている。空の部分だけでも表現が美しすぎます。「ぽこぽこ」と良い勝負で甲乙つけられません。


おわりに

 長くなってしまいましたが、まとめると結局のところ私はを。様の作品世界が好きなのだと思います。

 現実世界はいつも理不尽と無慈悲に満ちていますが、辛くなった時にnoteに逃げ込み、を。様の作る温かい世界に少しだけお邪魔し、読んでいる間だけでも嫌なことの全てを忘れられる、それを生きる糧の一つにしたいと作品を読んで勝手ながら思いました。
 今後も遠い空の向こうからこっそり応援させていただきます。

 以上、最後までお読みいただきありがとうございました。ぽこぽこ!(言いたいだけ)


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