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38年前の16mm映画上映で学生と共感できた閉塞感と希望


1.38年前の自作16mm映画「モノトーンの夏」再上映

 映画「モノトーンの夏」は、19歳の友人Aの突然の死から、彼の彼女と友人Bが、死を受け入れられず呆然と時を過ごし、突発的な行動に出る小さなロードムービーだ。
 彼女はレコードを万引きし、友人Bは停めてあった軽トラックを盗み、行き場のない思いで車を走らせ、海でビールを飲み、死のうとするが...。
という50分弱の中編映画だった。

映画「モノトーンの夏」(1986)監督:吉浦利博  撮影:石堂吉弥

 学校のイベントで「今の学生作品と先生の学生時代の映画を一緒に上映してトークする」という企画をいきなりたてられ、指名された。
 「フィルムで見たい」という事になり、40年近くたって試写をしてみると、フィルムが硬く凸凹になり、そのためピントは時々ズレ、磁気で付着された音声も劣化し、音楽は歪んでいた。状態も悪く、恥ずかしさもあり、一旦は断った。
 しかし、試写を見て、傷つき色褪せたフィルムは、自分の記憶とリンクして面白かった。それに「フィルムの上映を体験した事のない学生のため」という事で、承諾した。
 当日は学内のイベントであったが、外部の人の来客もあり、小さな会場だが、ほぼ満席となった。私は身内の試写のようなで気持ちでいたので、外部の人が見に来てくれるのが意外であったし、困惑した。

「学生作品と先生の学生時代の映画の上映会」の様子

2.観客や学生たちの反応と共感

 学生たちはきっと古臭い昭和の作品なので「ダサい、古い、寒い」と揶揄し、理解してはもらえないだろうと思っていた。
 でも、上映後の観客の反応や感想では、拍手が起こり、好意的に受け入れられていて驚いた。
 上映後の感想。
「カタカタと鳴る映写機の音が良いですね。その世界にすんなり入っていけた」
「繊細でフィルムの質感がとても良かった…」
「長回しが心地よく、憂鬱感を感じられた」
「危険な女性の雰囲気でした」
「悲しい場面での再会から、その悲しみを引きずって、時々シリアスで映画を通して悲しみに捉えられている二人に見えた。そんな二人が出会って悲しみを共有し合い、別れて、悲しみから解放されたのかと…。」
「感情の見える演技と見えない演技の使い分けが凄くて、つかみきれず想像するしかない感情の使い方が面白いです。(ラストの主人公が)〝雑踏に消えた”というのは、今まで浮き彫りだった心のあり方が数多の心が錯綜する世の中の一部になったと解釈しました。
主観から距離を取れたある意味ポジティブな表現だなと思いました。ヘッドホンをつけて涙を流している長回しのシーンが印象的で、徐々に押し寄せてくる感覚は現実に似たようなものを感じます」など。
 38年前の学生映画が、思いのほか共感され当時自分が感じていた深い部分まで理解されていてびっくりした。

映画「モノトーンの夏」(1986)

3.80年代、当時の背景と閉塞感

 「モノトーンの夏」を作った86年は、今やバブル時代の象徴にされた荻野目洋子は「ダンシングヒーロー」を歌っていたが、まだバブルではなかった。
 中森明菜の「DESIRE」歌詞:阿木燿子、作曲:鈴木キサブローの方が、時代を象徴していたように思えた。
 欲望の行き場を失い、孤独を抱え、燃え上がる事のない心・・。

真っ逆さまに堕ちてdesire
炎のように燃えてdesire
恋もdance、dance、dance、danceほど
夢中になれないなんて
淋しい
Get up 、get up、 get up、get up
Burning heart

引用:中森明菜「Desire」歌詞:阿木燿子

 景気は、オイルショック後の低迷期であり、ロシアのチェルノブイリ原発事故があり、三原山の大噴火があり、いじめ自殺が問題になり、いじめに担任が加担し「お葬式ごっこ」をしていた。
 アイドルの岡田有希子が、飛び降り自殺をして、後追い自殺が増えた。ビートたけしが、軍団を連れ「フライデー襲撃事件」を起こした年だ。
 社会に不満を感じながらも、それを表現する事ができず、漠然と先の見えない不安を抱えていた時代だった。

3. 上映後の学生とのトーク①:個人的なエピソードと映画制作の動機
 上映後、学生とのトークがあった。
 そこで私は、映画制作の動機となった個人的なエピソードの事を話した。
 友人Aが突然、脳内出血で亡くなり、葬式で、Aの彼女と再会する場面は事実で、それを元にフィクションを作った。
 亡くなった彼とは小学校からの知り合いで、中学が同じになって仲良くなった。彼も彼女も同じ中学だった。中学の文化祭の時、演劇部がなかったので、私は勝手に脚本を作り、一緒に芝居を上演した特別な仲間だった。
 お葬式で私は彼の彼女と再会し「彼が死んだ」実感が待てないまま二人河原で呆然として、少し言葉を交わし別れた。
 その時の実感がなく呆然とした感覚が、なぜか映画になると思った。
 あらゆる出来事と自分の感情がうまくリンクせず、素直に喜んだり悲しんだり、熱くなったり、絶望したりする事がうまくできなかった。
 居場所も行き場もなくいつも閉塞感を感じていた。当時の若い世代を「シラケ世代」とか「新人類」とか言っていたので、私だけの感覚ではなかったように思う。
 自分がリアルに感じる心の奥の漠とした行き場のない感覚を「モノトーンの夏」として描きたかった。

映画「モノトーンの夏」(1986) 撮影風景

 学生の「80年代と今の時代を比べてどう思いますか?」の質問に、私は「今の時代は昔より意識も高く、差別や争いをなくし多様性を志向する若い人も多い。SNSが始まった頃は、クリエイティブで豊かな映像表現にとって、誰でも世界に自分の作品が発信できる面白い時代になると思っていた」と話し、
 「でも現実は違った。SNSは様々な人の欲望を可視化して、欲望が欲望を生み出し経済を回す資本主義社会の象徴のようなメディアとなった。
 映像はハイビジョン、4K、8Kとどんどん鮮明に美しくなり、画面の情報力は日々増加し、視聴者の想像力を使う余白がなくなった。
 一方で欲望の刺激だけを求める過激な映像やフェイク動画も増え、本質的な何かを伝える映像より、視聴者の原始的な感情を刺激するだけの動画が主流となった
 昔は昔で閉塞感を感じていたが、映像表現をする上では、今の方が人々に監視され、不自由で息苦しい」と答えた。

映画「モノトーンの夏」(1986)

 そのトークの感想として、
「(トークを聞いて、映像が短い動画至上主義になったことについて)文化を学ぶ時間は多く必要で、その他の時間は効率化するので、時間をかける緊張感が薄れてきているなと思った。・・中略・・現代は文化の魅力や愛着という説明できない非論理的なものを知るに至るまでの「深い学」に理解がなく全てにおいて手軽な情報収集を目指しているのが、人の想像力の損失につながると思います」
と言った意見もあり、うれしかった。

4.若い世代の想像力と新たな希望

 最後に「現実のリアリティと映画のリアリティの違い」についての質問があり、
「映画のリアリティは、目の前の現実をそのまま反映したものではなく、人間の心の奥にある真実や現実を表現したものだと思う。そのリアルが、わけのわからないものであれば、わけのわからないまま深く、不条理なら不条理なまま描く事だと思う」と話した。
 私が若い映像作家を目指す人に言える事は、映像作品のプラットホームが、ストリーミングやSNSと多様化した事を逆手に取り、ニッチな題材や小さな社会問題でも取り上げる事ができる。
 だから自分の興味ある事を深く面白く表現すれば、必ず道は開ける。
 VRなどの視覚表現の進化は、遊園地のアトラクションだけでなく、複雑で深いテーマをより直感的に感情に訴え、より深く表現できる可能性がある。新しいメディアを武器として手に入れる事。
 なにより短い動画の感情刺激は、一瞬で消費されるが、深いテーマを持つ映画は時を超え、普遍的に観客の感情や社会を動かす事が出来る。
 新しいメディアだけでなく、フィルムなどの古いメディアを新しい視点で活用して、新たなフィルム映画を撮る人が出てきても良い。
 最初気の進まなかった38年前の16㎜映画の上映会だが、若い世代の共感を得て、勇気と元気をもらった。
 それと同時に彼らを励まし、力づけ、育てる仕事への新たな力を得た有意義なイベントだった。

映画「モノトーンの夏」(1986)


 

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