《第十五回,読書のあとに》
最後の稽古を終えると、次の日は大体休みになる。翌日はスタッフさんによる劇場の仕込み作業が始まる。舞台美術、照明や音楽機材などの搬入が行われる。出演者はもちろん、関係者にとって一番使い勝手の良い導線の整理など、見えない作業が山のようにある。
出演者である僕はお休みをいただく。この休みを利用して、役のために髪の毛を切りに行く人もいる。僕は、今回髪を切る予定もない。つまり、自由に予定を立てることが出来る。整体に行って、身体を休ませることも出来る。映画館に行って、心をほぐすことも出来る。先日、知り合いから「舞台に役立つかもよ?」と教えて貰った読みかけの本を読み切りたいたい気持ちもある。そろそろ姉貴の薬を院長先生のところへ貰いに行かなくてはいけない。ただただ、お酒を飲んで、寝たい。全て、自分で決めることができる。
時間を好きに使うことが出来るということは、楽しそうに思われるが、案外自分を縛り付けてしまう。こんな生活になって、まだ1年も経っていないが、なるほど学校という場所は凄く自由だったのかもしれない。「隙間時間に何をする?」なんていう広告を電車内で見たことがあったが、隙間だらけの僕には、その問いがチクチクと胸に刺さったことを思い出す。
人は相反することを欲する生き物なのかもしれない。束縛があるから自由を欲する。仕事をしている時は休みが欲しくて、休みが続くと仕事がしたくなる。時間がないからこそ、隙間に自分の好きなことに没頭出来る。時間が沢山あれば、好きなことだけにずっと没頭出来るのかといえば、実はそんなことはないのだ。結局、飽きは来るし、息抜きが欲しくなる。そんなものなのかもしれない。そんなことわざがあったはずだ。
結局、僕はソファの後ろにある、背の低い本棚に積まれた未読の本に手を伸ばした。読みかけの本があるというのに未読の本を選ぶあたりが、休日の羽を伸ばした自由度と気合いを表していると思う。
鯨井あめ著「晴れ、時々クラゲを呼ぶ」
休日を満喫できた。思わず一気読み。
序盤、なぜだか主人公に感情移入出来ない自分がいた。物語の舞台は自分も経験してきた高校生活のはずなのに、主人公は僕と同じ男の子なのに、感情移入が出来なかった。でも、読み進めるうちに何故感情移入出来なかったのかが、分かってきた。
この男の子は僕だ。そして、僕がなりたかった僕だ。
図書室に憧れていた。図書室の前を通る度に、扉の隙間から流れてくる本の匂いが好きだった。静謐な空気が漂う図書室が格好良く思えた。
でも、入ることが出来なかった。自分には入ってはいけない場所なんだと思っていた。
だって、本が嫌いだったから。
だから自然と遠ざけていた。でも、ずうっと気になっていた。本に没頭して、静寂と友達になれる人たちが羨ましかった。授業がつまらなかったはずなのに、クラスメイトが嫌いだったはずなのに、図書室に逃げ込めばよかったはずなのに。それが出来なかった。
本の世界に逃げて、この本に出てくる皆のように、クラゲを呼べばよかった。
主人公、亨は僕であり、僕がなりたかった僕だ。
亨になれなかった僕は、役の力を借りることでしか言葉を発すことの出来ない役者をしている。始めて1年足らず。たった1年で、もう壁にぶつかってしまっている。そろそろ潮時なのかもしれないと思う。
人の前に立つことが嫌いなのに役者なんて出来るワケがない。
自由に憧れていたはずなのに、病室の窓から見える景色がイヤだったはずなのに。一番自由な仕事を選択したはずなのに。なんで僕の影は、僕についてこないのだろう。僕の影は、姉を追っている。姉の影から離れることが出来ない。
全部、姉貴のせいだ。
この本を読み終わっても、結局、僕は何も変わらなそうだ。それはそれでしょうがない。そう簡単に人生も、人格も変わらないのが人間だ。軽々と移ろうのは人の気持ちだけ。
明日から劇場で稽古が始まる。劇場に入ってからのルーティーンは何となく決まっている。発声練習、ストレッチ、逆立ちをする。その後、心の中で、クラゲを呼んでみよう。
おわり。