
【30分エッセイ】 どこまでいっても、私はフツーの人。
カラスはカーカー鳴くものだと思っていたけど、今、外では「アガァアガァ!」と鳴いている。ちょっと怖い感じ。まだ空は紺色だから、なおさらね。
今朝も思いのままに書き殴っていこうと思う。
最近、いいことを書こうとしているのか、
文字があまり進まないことが増えている。
困ったもんだ。
当初はもっとカタカタさせていたのに。
自分の欲望が出てきてしまっているんだろうね。
でも、そんな気持ちも分かる。
「どうせ何かを書くなら、いいものを書きたい!」と心の奥のほうで思っているんだろうね。傲慢なんだなあ、ウチって。
色々な本を読んだり、noteの記事を読んだりしていると、「自分がいかに普通か」を思い知らされてしまう。家族や友人関係、自分自身の感覚や原体験について。巷には面白い話が溢れている。まあ、どの話だって、事実をそのまま文字にしているわけではなくて、少しの装飾、つまり、盛った話なんだろうけどさ!
そんなのは当たり前で、「普通の話をいかに面白く書くか!?」がポイントなんだと思う。ただし、《0を1にする作業》というよりも、《1を5にする作業》なんだよね。これが1を10にしてしまうと、盛り過ぎになるし、0を1にするのは、どこか真実味が欠けてしまう。そうした塩梅を楽しむのも、文章を読み書きする面白さなのかもしれないね!
頭では色々とわかっているつもりなんだけど、
そういう意味でウチは「1を5にする技術」は無いし、
そもそも、常に0.5って感じ。
ウチは、普通すぎるんだよねえ。
空っぽなんだと思う。
でも、それってつまりは、
「幸せ」に生きてきたってことだよね。
これといった社会への違和感を感じたこともなかったし、別に繊細でもないのだろう。鈍感にのうのうと、時の流れに沿って、なんにも考えずに生きてきてしまった。
けれん味が欲しいねえ。
毒とか、斜に構えた態度とか。
精神的な不良を胸に宿していないんだよね。
そこがウチの普通たる所以なんじゃないかしら。
すごーく、自分を肯定した言い方をすると
「素直に前向きに生きてきた」ってことかもしれない。
そこそこツラい思いとかもしてきたはずなんだけどね。
そうした経験を原動力に動いていないんだよ。
イジメられたこともあるし、
人間関係で悩んだこともあるし、
死について考えたこともある。
親との関係が悪化したり、
人間不信になったり、
体のコンプレックスがあったりと。
まあ、普通にいろいろ経験してる。
でも、ネガティブなガソリンを使って動いた経験があまりなくて。
忘れちゃうんだよねえ!
だから普通なの。とっても普通。なんにもない。
意識してるわけではなくて、無意識のうちに「なんとかなる」と思っているし、「なるようになる」と思ってるんだと思う。根拠のない自信とも少し違くて、もっともっと放任的。受動的とも言えるのかなあ。呼ばれるのを待っている、なんてかっこいい言い方もできるのかなあ。
結局、なにもかも受動的なんだよね。
あ、別にだからといって、誰かに強制されてるわけではないよ。
自然な流れ、って感じ。
大人になってから読書するようになったのも自然な流れだったし、人見知りがなくなったのも自然とそうなった。
「時代がこうだから」とか「これからはこうすべきだ!」と打算的に動いてみたこともあったけど、まるで自分のモチベーションが上がらなかったし、なにより続かなかったんだよね。無理してる感じ。体が歪んでいく感じ。だからフェードアウト。まあ、これも普通でしょ。
身を任せて生きてきたから、普通になっちゃったんだよね。
社会に合わせられないこともないし、順応できる。個性がないというか、芯がないというか、ぷかぷか宙に浮かんでる。根無し草。
カラスの声が遠のいていく。「くだらねえこと書いてんな」と笑われているみたい。交代するかのように、今度は「ピュイピュイ」と別の鳥の声がする。朝は鳥たちが賑やかで楽しい。車の走行音もする。いよいよ朝が始まるんだね。
うん、やっぱり、ウチって普通なんだな。
今日も普通に頑張ろうと思う。
フツー、フツー!
フツー万歳
なんじゃそりゃ!
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