kimurakemuri
踊る阿呆に観るアフォーダンス
世界は言葉でできているんだよ!と後輩に何度説いても念仏。なぜなら念仏すらまぎれもない言葉だからだ。
子供たちが空に向かい、両手を広げ、過去からの旅人と通りすがり、振り向いてみただけで、ここではないどこか
凸凹道をゆくタクシーに揺られながら、フロントガラスにぶら下がった神様ガネーシャがブラブラ揺れるのを見ていた。一緒に日本から来て駐在していた生産管理のおじさんにそそのかされ、わたしたちは市街地から少し離れた富裕者層向けのビーチリゾートに向かっていた。当時わたしは新卒一年生、夢も希望もなく入社した零細繊維商社で、インドに会社を作るぞと息巻く冒険家気取りの社長に言われるがまま、英語ができるという理由だけでインドに派遣されたのだ。到着すると正規の入場ゲートを無視して、わたしたちは野良
わたしの生まれたまちはくびれたような半島のまさにくびれ部分にあったため、北に行っても港、南に行っても港、東に行けばわたしの祖父が生まれた島を遠く望む岬、文字通り地の果てなのだが、比較的内陸側に家があったので「港町うまれで海はいつも身近にあった」と書き出すほどでもない。いまは廃校になった小学校の目の前の坂道を少し下れば、高台の金刀比羅神社の境内で遊んでいると、祖父母が眠る墓地に行くと、すぐそこに海が見えた。身近にあることに間違いはない。ただ砂浜などとは違って港は港、こんがらがっ
あれこれゆきのようにつもる おこうのけむりをぢっとみて はずかしさのむこうがわにて ふらふらよるのさんぽみちで くらくらたいようにこがされ しかしたかがあいされどあい みんざいをどくぺでのみほす のろしをあげてせきをしても ひとりすするのみそらーめん はっこうするむしひそやかに かわらのみずのおとすずしげ まつりばやしもとおくにきえ みあげるおりおんのせいうん
つまらないやつはみなごろし わたしとあくむをみませんか しらないまちでさまよいたい やさしさなんてゆうれいです すなをにぎってだいやもんど くいずをだしあえしんけんに どこにいてもきこえるおとが よみちにさくはなだいだいの このうちゅうのこんとろーる きみのにおいがただようへや あさにはみえないこのきょむ せんたくきをみつめてるねこ うみにむかってながれるかわ
わたしたちビリオン・ハプニングスは あなたのこれからの人生の何処かで 何ということのない瞬間に何回か 思い出してはひとりほくそ笑むような 輝度と彩度の高い事件をつくるために 未来のカラフルなノスタルジーのために 出来る限りの時間を 出来る範囲で費やしあう 出来心ドリブンのコレクティブであり 出来事プロダクションのシンジケートです。 あと何十億の環世界を往復したら わたしたちは幸せに死ねるのでしょうか。 そう、わたしたちはきっと、 死ぬまでそそのかしあうのです。 だから
この頃は積読などといってまるで書物とは本来読む直前に買って買った直後に読んでを繰り返すことのその機械的な消費の対象であるというような物言いをされていながら或いは速読という言葉にしてもそうで、今生でさて何冊の本を読めるものかと測る空の椀を構えて蕎麦を待つような風情の扱いも屢々だが、併したとえば丸善でその群青色の表紙にむずむずと惹かれ手に取り買った瞬間の動機の高まりはそのときのものであって或いはそもそも一、二頁をパラパラと近くのカフェーで手繰ってみてもなんの感慨も覚えないばかりか
スターバックス、ブルーボトル、タリーズ、ドトール、カフェドクリエ、サンマルク、エクセルシオール、よりどりみどりの品川駅港南口界隈に、ベローチェを、ルノアールを、珈琲館を、上島珈琲を、プロントを、カップ一杯の歓びを、スプーンひとさじの慈しみを、束の間の休息に安いコーフィーを嗜む総ての民に幸福を与え給へ、と今朝も幾千の会社員が44台のデジタルサイネージに正対して跪き、RGBの後光に照らされましたる、聖なるグラインダー様、願わくば御名を崇めさせ給え。我らの日用の糧を今日も与え給え。
2年前の暑い日の夜の家路、つい先日よちよち歩きの小鴨たちを見守る親鴨が迷い込んで、近隣住民たちが息を潜めるほどの慎重さで見守る、すぐ近くの池に繋がる小さな流れ沿いをなぞる、緑道のベンチで出会って、お互いコンビニで買ってきたビールやら発泡酒やらを少し離れたベンチでひとりで飲んでいたのだが、やがてどちらからともなくポツポツとモノローグが融合してダイアローグになるみたいな感じで話し始めた名も知らぬ英国人は今頃故郷の町にいるはずだ。だんだん彼のトークのテンポが上がり、地域を特定できな
ある夏、集団でバンガロウみたいな家に滞在中、1人ずつ言語デバッグに陥った挙句コミュニケーション不全の症状がまもなく慢性的になり、その人自身、その人となり、しまいには言語の外側にあるはずのガワ、存在の器そのものがふわっと霧消する怪奇、蝉の声に混じったつけっぱなしのラジオの音声もいずれピュアなノイズになり、わたしを含めて生き残り4人の言語体系を可視化するらしい、ちいさなLEDのモニタを恐る恐る覗いたら、他の生き残り3人のアイコンが"夥"の字に変わり、隣にいる古い友人の言葉がさっぱ
ひとは自らが置かれた独特な文化、環境、家庭、人間関係のなかで偶々自明のこととされているような、ちょっとした慣例や習慣が、多くの知人友人、場合によっては外国の人々にもその小さな手癖のようなものをまっとうであって、かくありなん、当然ですよね、つまり暗黙に了解するコモンセンスだとあまりにも安易に思いがちだが、実際に人が最大公約数的に共有できている価値観なんてものは、せいぜい愛、または平和くらいで、それらだって実際はギリギリアウトだからユートピアは実現しないし、さまざまな美しい物語が
ソロモンはケイトリンの誕生日を祝うためグランヴィアにある目的地に向かって歩いていた道すがらに見つけたきれいな卵型の石を拾って身に覚えのない郷愁のようなものに襲われ、気まぐれに、あるいはちょっとしたなぐさめに、カスタード色のカーディガンのポケットに入れたその瞬間、空に極彩色、無数のレイヤーで五芒星型のグリッチが顕れて断続的なホワイトノイズが左耳の後方で小さく鳴りはじめたのだが、最近はそんな種類の荒神の仕業にもこの街の人々は慣れてしまっていて、美しい人生とも醜い人生とも言えぬまま
私の箱庭に抜いても抜いても絶えずしぶとく生えてきて「コニチワ」と人を小馬鹿にした片言日本語の外来種調子で赤く芽吹くので、地下50〜60cm付近に頑丈に張り巡らせた匍匐する根を癇癪起こし気味にスコスコとスコップで深追いするたびに、パフュームゼラニウムやローズマリーやその他の根っこを少しく傷つけたばっかりに枯らしてしまい、また翌週には元気な赤い芽が「コニチワ」と無邪気に話しかけて来る、その厄介な雑草の正体を、雑草ハンドブックとか、雑草辞典とか、いろいろの文献を買って漁って、目を皿
あたらしい朝が来たのでアラームを止めて案の定二度寝してスヌーズの抜け道編み出してやっと上半身を折り起こし、時計を見やれば午前9時、君との約束に間に合わないかもと、急いでシャワーを浴びながら歯を磨いて、髪がパサつかないように最近覚えたトリートメントオイルを半乾きの髪になでつけて、コーヒーを淹れましょう、と、キッチンに立つも豆が切れている。育ててる豆苗の成長に一瞬気が逸れる。コーヒー、一日の始まりはコーヒー、この胸の高まりはコーフィー、と下唇に軽く前歯を当てて改めて発音したらば外
ほどけてしまった靴紐を結ぼうと駅のホームで屈んだが最後、立ち眩み、肩こり、鼻水、次いで視界が縮むというか、可識域がピンホールに近づいていくというか、いま念のため調べたところ、可識域って言葉は実際存在しないようなのだが、わたしはたまにこういう調子で、ことばをなんとなく吐き出してから存在しないかもなと薄ら気づきつつ使い続けたりすることがあり、おそらく周囲の人々も、それが汎用的な日本語なのかもしれないしそうでないかもしれないしけれどわたしは少なくとも聞いたことないな、なんとなく意味
「シャキソフォーン、ソニー・ロリンズ!」 彼女はあの年代特有の、しゃくり上げ気味でアとエの中間母音とrの巻き舌に意識過剰な日本語米語(かつてカメラはキャメラだった)でコールしたあと、その夜随一のスウィングのリズムに沸くステージで彼のプレイをスキャットで口真似た。バンドはドラム、ベース、ギター、ピアノの4ピース。最小の営業パッケージであり、ヴァイオリンもヴィブラフォンもどこにも見当たらないが、カラオケが決まったテンポでオーガニックなシンコペーションを駆使しながら演奏する。すべ
土管ワープで栄転した夫は定年目前にして突然退職、その退職金をすべてつぎこんでたいそう不思議な豆を買ったんです。「するするとつるが伸びて、それをするすると昇っていくんだ。当然最初はすこし怖かったけれど、慣れてしまえばなんてことはない。わたしたちはその楽園のような場所でよく走り回って遊んだものだ。尻尾を振って揚々と、地上の花や星や、煉瓦造りの城や、遠く見下ろすとすべてがとても小さく見えるんだ…いつもあの死んだ弟と、まるで無敵になったような気分で走ったものだ。わたしたちがいちばん輝