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『銀座アルプス』  寺田 寅彦  #君羅文庫

コーヒーを初めて飲んだのはいつだったか。

小学校低学年の暑い夏の日。ミルクがたっぷり入ったアイスコーヒーを飲んだ気がする。

ちょっぴりのインスタントコーヒーを少量のお湯で溶かし、氷をたくさん入れてからたっぷりとミルクを注ぐ。アイスコーヒーというよりは、コーヒー入りアイス牛乳か。

コーヒーが好きで飲んでいたんじゃなくて大人が飲んでいたものが飲みたかったのかもしれない。そんなコーヒーとの出会いから20数年。いまやコーヒーに牛乳を入れて飲むことの方が少なくなり、コーヒーの香りと効果に魅了されている。


科学随筆の名手にして物理学者の寺田寅彦は、自身のコーヒーとの出会いとその効果について『珈琲哲学序説』に記している。

医者からの命令で飲みにくい牛乳を飲むために少量のコーヒーを配剤されたことでコーヒーの香味に心酔する。ドイツに留学した際にも、日本に帰国してからも寺田寅彦の生活には常に「コーヒー」の存在がある。

そしてコーヒーの価値としてこう書いている。

芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味からいえば自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分の哲学であり宗教であり芸術であるといってもいいかもしれない。

これによって自分の本然の仕事が幾分でも能率を上げることができれば、少くも自身にとっては下手な芸術や半熟の哲学や生温い宗教よりもプラグマティックなものである。

『珈琲哲学序説』より

コーヒーを飲むことによって行き詰まる仕事に光が差し込み、解決の手がかりが得られることがあるのだから、コーヒーというものは活動の原動力として実利的な価値があるのだということか。

たしかにコーヒーを飲むことで、仕事捗ってしまうことあるなぁ。


寺田寅彦は、コーヒー好きであるとともに「ギンブラ」を趣味としていました。「ギンブラ」とは銀座をぶらぶら歩くこと。表題作の『銀座アルプス』も、当時の銀座に次々と建設されていった高くそびえ立つデパートたち見て「アルプス」に喩えた表現です。

ギンブラをする中では、やはりコーヒーを飲む"家"によく行きます。さぞ美味しいコーヒーを飲ませてくれるいい"家"をたくさん知っているのかと思えば、

銀座でコーヒーを飲ませる家は数えきれないほどたくさんあるが、家ごとにみんなコーヒーの味がちがう。そうして自分で本当にうまいと思うコーヒーを飲ましてくれる家がきわめて少い。日本の東京の銀座も案外不便なところだと思うことがある。

『銀座アルプス』より

と言い、さらに

日本でのんだ一番うまいコーヒーはずっと以前にF画伯がそのきたない画室の隅の流しで、自分から湯を沸かしてこしらえてくれた一杯のそれであった。

とも記しており、ギンブラが好きでも、コーヒーのうまい店は銀座には少ないと言い、コーヒーの味は飲んだ場所や雰囲気にも影響されるものだと感じていたのかもしれません。

銀座にはコーヒーのうまい店は少ないと言っていますが、「風月」はよく登場します。明治32年に大学入学に上京した際、銀座で世話になっているI家のSくんに「ミルクのはいったお饅頭」を風月にてご馳走してもらう記述があります。このミルクのはいったお饅頭というのはシュークリームのことですね。

寺田先生甘いものも好きだったんですねぇ。


そういえば以前、君羅文庫でご紹介した内田百閒『御馳走帖』からもシュークリームの話を書きました。

寺田寅彦と内田百閒には、夏目漱石の門下生という共通点があります。

夏目漱石の『三四郎』のモデルは寺田寅彦だと言われていますし、名作『団栗』は漱石のすすめで書かれたといいます。『団栗』よいのです。文章の最後でふと泣けます。

『団栗』はこちらの随筆集でも読めます。

内田百閒は、漱石の鼻毛を保存していたエピソードなどで”漱石愛"を表現していたり、夏目漱石に関する本をいくつも書いています。

そんな漱石共通点のある2人の著作にそれぞれ「シュークリーム」というおいしい共通点も発見できちゃいました。


コーヒー・ギンブラ・甘い物が好きな先生の随筆集を”おいしく”読んでみるの楽しいですよ!


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