私は馬鹿なふりをしてしまうらしい。 大体下ネタかモノボケに走る。自分は馬鹿だからというスタンスで立ち回っていた方が楽だからだ。自分は馬鹿だから空気が読めない。馬鹿だからただ騒ぐ。馬鹿だから傷付けられても傷付けても気がつかない。馬鹿だから。そうやって他人に壁を作って自分を守ってきた。馬鹿だ。 見えない壁がある。私と他人の間に。その壁を取っ払ってもらわないと怖い。自分からは取っ払えない。だから他人任せ。私は馬鹿だからあなたから取っ払ってくださいというスタンス。本当の馬鹿。
結局とてもお久しぶりになってしまった。 私と旦那が結婚して3ヶ月以上が経った。 結婚、というワードを使うと「また惚気やがって」とか「いいなぁー」とかいう声も聞くが、ぶっちゃけ私たちは付き合っていた当初からほぼ何も変わっていない。これは悪い意味ではなく、単純に相手との距離感や想いが同等であるということ。結婚したから何かが劇的に変わった、ということもないし、結婚してからも相手を好きであることに何の変わりもない。朝起きたら隣に相手がいて、夜は相手に「おやすみ」と伝えて一日を終える
どうしようもないほど鬱屈になる時もある。鼻からスイカを出す方がよっぽど楽なのではないかと思うほどの。そういう時はとにかく一旦落ちて、落ちるところまで落ちて地面に突っ伏して声を上げて泣く。わああああああん、と子供みたいに泣いてみたら、案外馬鹿らしくなって「何してんだ子供みたいに」とあっけらかんと自分に引く。そうなったらあとは前を上を見るのみだ。泣いてたって始まらない。時間は進んで行く。これからの生活だってある。この生活を守っていくためにもとにかく前へと進むしか道はない。 引っ
従姉が一昨年亡くなった。まだ40歳という若さだった。悔しくて悲しくて無念で仕方なかった。従妹は20代から親の介護、30代の頃からガンを患っていて、ようやく社会復帰が出来る手前だった。亡くなる直前、彼女はたくさんの管に繋がれて弱々しい口調でこう語っていた。「もう一度就活してたのに、ああ私、ようやく働けるって思ったのに」。彼女は、働くという人間として当たり前だったはずの行為を、取り上げられたのだ。 同じ年、従姉が亡くなる半年ほど前に、祖父も亡くなった。孫と祖父が同じ年に亡くなる
「やっちゃった」 私は呟いた。 「やっちゃったね」 彼女も呟いた。 「これ、どっちが悪いとか、あるかな」 私は彼女に尋ねた。 「どっちもどっちじゃない?」 彼女はそう答えた。 彼は悪い男だったのだろう。誰にでも優しすぎたし、そこに嫌味がなかった。天性の女ったらし、とでも言おうか。特に恋愛に免疫のない女なんてイチコロだ。彼女のように。 「いや、それは、どうだろう、言い方」 「恋愛経験皆無だって言っていたじゃない」 「彼とはしたことあるもの」 「たった一度きり?」 「
「海が好きだね」 と、ある男は言った。泳ぐのは苦手だけど、海が好きだ。水族館とか。海鮮物は、食べるのも好き。彼は見かけによらず幼い笑顔でそう言った。同い年とは思えないほど大人で仕事ができて優しい彼が、私は好きだった。人当たりが良くて爽やかな気性のその男は、私を初めて見つけ出してくれた人だった。休日の晴れた日には、二人でよく出かけた。初めて行ったデートは、鎌倉の江ノ島水族館だった。なんともひねりのない、あまりにも凡庸で普通のデートだ。私はとても幸せだった。クラゲがふわふわと水
結婚した。『2』さえ覚えておけば忘れることのない記念日だ。大安吉日。我ながら良い日取りに結婚したと思う。 今日は土曜日だったので正規の窓口は閉まっていた。臨時窓口にはおじいちゃんの職員さんが一人。同じことを考えたカップルが何組かいたようで、私たちが婚姻届けを提出した時には他にも二組のカップルがいた。きっとこの後も続々と出しに来たに違いない。おじいちゃん職員さんは淡々と婚姻届けに目を通し、本人確認を行い、最低限の受理処理をして「他の手続きは平日にお願いします」と戸籍変更手続き
明日結婚するというのに私は絶賛風邪っ引きである。週の初め頃から風邪気味ではあったがどうやらその頃からインフルエンザだったのだろうと言われた。ただ発熱しなかったのでインフルエンザだと気付かず、かつ発症から4日以上経っている為検査ではもうインフルエンザは検出されないとのこと。恐らくインフルエンザが体の奥に入ってしまってこうなっているのだろうと言われた。私はよく体調を崩す。その度に親に心配されてきたが今日もそうだ。今日なのに。私が旧姓でいられるのは今日までなのだ。 式は挙げない。
私の口から煙草の話が出るのは飽きられていると思うが、私の生活の一部としてここは晒しておきたい。 喫煙歴は約10年。最初は知人から貰い煙草をしていたが、その内いちいち頂くのが申し訳なくなり自分で買うようになった。記憶が正しければ、確か初めて買った煙草はキャスターの3ミリだ。甘かった。当時は甘くないと吸えなかったが、今では無理だ。ちなみにメンソールも吸えないので女性向けの煙草は全滅だ。今はパーラメントライトの6ミリを吸っている。 何度か京央惨事のコラムでも触れてきたが、私は煙
さらさら、さらさら。何かが少しずつ崩れていく。それは外側からは見えなくて、内側からさえも捉えにくいから厄介だ。まるで自分という存在を支えていた土台が、乾いて、ゆっくりと、誰にも気づかれないほどゆっくりと、さらさら、さらさら。離散していく。それを必死にかき集めなければならない気もするし、だけど全て流されてしまえばいいとも思う。 彼女はふとした瞬間、この感覚を覚える。いつ、どこで、何をしている時に、というような明確な定義はない。日常の中でそれは無差別に起こる。 初めて感じた
「……できない……」 「貸して、やってあげる。……ほら」 「ありがとう」 彼女は私よりもずっと器用だ。彼女に任せれば、私の決して形の良くない爪も、綺麗な曲線を描いて短くなる。ネイルだけじゃない、彼女は料理も上手い。調理師の免許を持っている。頭もいい。あくまで私から見れば、の話だけれど。中学すらまともに通っていなかった私は、彼女の持つ広い世界に憧れる。せめて義務教育くらい、真面目に卒業しておけば良かった。 でも彼女に勝るものが、こんな私にも一つだけある。私はピアノが弾けた。
京央惨事以外の場所で自分の言葉を発信するのが怖かった。でもそろそろ克服しようと、ブログを始めてみようと思い立つ。 私は自分の言葉に自信がないのだと思う。結局主観であって正解ではないしきっと誰かにとっては『間違い』の言葉なのだ。そうやって間違いを指摘されて否定されることが怖かった。だから私はいつも京央の蓑に隠して言葉を守ってきた。 私は小学校の頃いじめが酷くて中学時代には登校拒否もしたことがあるが、その時に救われていたのが音楽の授業で触れて来た合唱曲だった。今ではタイトルも