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「罪の声」塩田武士


「深山くん、『罪の声』って読んだことある? あたし、この前読んだんだけど」

「そりゃあ読んでるさ。巷じゃ『塩田武士作品読んでなきゃ読書家は語れない』なんて言われてるぐらいだからな」

「それどこの巷かな、あたしは聞いたことないけど……。まあ、確かに最近すごく注目されてる作家さんだけどね」

 ドライな反応を返す明日葉をよそに、蓮太郎はその作品を読んだ感動を思い出すように何度も頷く。

「あの本、めっちゃ面白かったよな。俺、あれ読んでジャーナリストになるのもいいかな、って思ったくらいだし」

「事件の手がかりになるキーワードがすごく気持ちいいタイミングで出てくるもんね。あたしも読んでて、本当のジャーナリストになって手がかりを集めてるみたいだなって思った。だからひときわ興奮があるっていうかさ」

 この作品は、新聞記者が主人公の一人として事件を追いかける姿が描かれている。彼が悪戦苦闘しながら取材をしていくうちに、未解決事件の真相がゆっくりと紐解かれていくのだ。

「そういうリアリティが感じられるのも、本物の大事件をこの作品がモチーフにしてるからなんだろうな」

「……うん。『グリコ・森永事件』だよね?」

 神妙な顔をする明日葉。この作中に登場する未解決事件、『ギンガ・満堂事件』は、実在の事件、『グリコ・森永事件』を踏襲して描かれているのだ。

「あたしたちが生まれる前の事件だから全然分からないけど、『この事件をきっかけに、お菓子は個包装されるようになった』ってのを読んでびっくりしちゃった。あれホントなの?」

「本当らしいぞ。俺もあまりに気になっていろいろネットで調べたんだけど、作中の事件の詳細はほぼ事実に即してた。ノンフィクションに忠実に作られたフィクションなんだよ」

「フィクションだけど、ノンフィクション、ね……。うーん……」

「……どうした?」

 悩むような仕草を見せる明日葉に蓮太郎は問いかける。

「いや……。あたしさ、この本、結構楽しんで読んじゃったんだけど、ノンフィクションってそんな楽しみ方しても良かったのかな、って。だって、この事件で本当に傷ついた人だっているってことでしょ?」

 真面目な顔で明日葉は言う。それに、蓮太郎もまた真面目な顔で応じた。

「確かにな。でも、きっといまの堀北みたいに、そうやって読んでから、もう一度考えてくれることを、この作者は願ってるんじゃないかな」

「え? そう……なのかな?」

「俺も堀北と同じだよ。この本さ、登場人物が関西弁でユーモラスにやりとりするから、結構笑えるだろ? でもさ、それこそが実は反面教師なんだよな」

「……! それってもしかして……」

「ああ。『この事件の犯人は、警察や企業をおちょくる愉快な関西弁を脅迫状に用いて、市民へのイメージを柔らかく見せる。だがその裏で過激な脅迫を企業には行っていた』って考察が途中に出てきただろ? あれって、大きく見れば俺たちも似たようなモンじゃないか?」

 蓮太郎は苦笑しながら、自分に言い聞かせるように言う。

「俺さ、この話は、『この事件が未解決で終わってしまったのは民衆の事件に対する関わり方も一因としてあったんじゃないか』って書いてると思うんだよ。マスコミに煽られて『犯人に翻弄される無能な警察』ってイメージを鵜呑みにしたり、その後訪れたバブルのせいで事件に対する執心を失ったり……。それはいまの時代にも通ずるものだろ? 堀北はさ、もし今の時代にこの事件が起こったら自分はどうすると思う?」

「……もしこの事件がいまの時代に起こったとしても、あたしは多分、そんなに深刻に思わないかもしれない。ニュースなんて真面目に見ないし、ネットの記事を見て終わりかもしれない」

「それで済めばマシなくらいかもな。下手すりゃその犯人を持ち上げるヤツまで沢山出てきてもおかしくない。被害を受けてる企業が、過去に問題を起こした企業だったり、重大な事実を隠してるようなところだったら、むしろ爽快だって思うヤツもいるだろうな」

 明日葉は蓮太郎の話を聞いて思わず唾を飲み込んだ。

「……なんか、急に怖くなってきた。もし、あたしがこのもう一人の主人公みたいに、この事件に理不尽に巻き込まれた立場だったら」

「ああ。もしかしたら、こんな感じでずっと解決してくれないんじゃないか……。そう思うと、やっぱり怖いよ」

 重々しく頷く明日葉に、蓮太郎もまた頷いた。

「……きっと、どんなことでも、自分の目で捉えて、自分の頭で考える。ありきたりだけど、やっぱりそれが大事ってこと?」

「うん。俺はそれがこの本のメッセージのひとつなのかなって思ったよ。ジャーナリズムを腐らせるのは、実は腐ったジャーナリストだけが原因なんじゃなくて、俺たちの向き合い方とも関係あるんだよな……。ただ情報に踊らされる、ってのはないようにしたいよ」

 蓮太郎はしみじみ言って、ふとあることに気づいた。

「でも、この本が流行ったのって一年くらい前だろ? なんで今読んだんだ?」

「ああ、この本、映画になったでしょ? 小栗旬と星野源で。あたし、星野源好きだし、見に行こうかなと思って読んだんだよね」

「星野源、か……」

「…………え、どしたの、深山くん」

 急に厳しい顔を浮かべた蓮太郎に、明日葉は困惑した。

「なあ堀北、俺この前ワイドショーで見たんだよ。世の中の女性って星野源を『普通の男性』だと捉えてるって」

「あー、それ、あたしも見たけど、別にそんなことは……」

「いやいや、星野源はだいぶイケメンだから! あんなの基準にされたら男はたまったもんじゃないから! 世の中の女性、ハードル高くしすぎだから!」」

「……深山くん、言ったそばからマスコミに踊らされるの、やめようよ」

 さっきの真面目に語っていた彼はどこへ行ったのだろうか……。明日葉は呆れてため息をついたのだった……。




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