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PTSDを持つ私が絶対に嫌なこと、知らない世界

今日もアナベルゴンザレスの本を大号泣しながら読み進めていた。

彼は横で何度か、頑張ってるねって抱きしめてくれた。

私は不快なことをしてみようと思っている。

正しく言うと、不快どころではなく、死ぬほどに嫌なのだ。

自分でも馬鹿らしく思っているが挙げていく。


・食べた後の食器を重ねること

実は彼にも言えていないが、わたしは部屋が綺麗ではないからバレていなかっただけで衛生面にだけ潔癖症の節がある。

ダニがいると思えば掃除機まで洗ってしまうような、盲目性もある。

アルコールや、アルコールティッシュは必須だ。家に何個もある。

犬がいるから、少し許容できるようになったものの食べた後のお皿を重ねることも怖くてたまらない。

今回やってみることにした。

彼がやってる分には嫌だなって思っても許せる。

けど、自分がやることは死ぬほどに嫌だ。

正直情けないことに想像しただけで泣いた。

こんなに潔癖症?自己完璧主義?だったんだと落胆するほどに自分がすることだけは特段許せない。

今もやると思うと、涙が出そう。えー、本当に馬鹿みたい!!!!

頭ではなんてことない、洗えばいいって分かってる。

でも何だろう?本当に許せない。自分自身が汚くなる感覚が物凄いある。

でもこれが出来たら、彼もわたしも少し楽になる、柔軟性が出るかも知れない。

本にそう書いてあったから、やってみる。

嫌だなぁ…


・自分に愛する人に伝えるような言葉をかけてみる


想像するだけでも失神しそうなくらいの拒絶感がある。

馬鹿らしくて笑いだしてしまうかもしれない。

心から居心地が悪く気持ちが悪い、がファーストインプレッション。

そんな言葉を自分にかける価値なんて無論無いと思っていたから本当に気味が悪い。

だからこそやってみる。


みんなは失敗したら、次がある!失敗は成功のもと!とか思うのだろうか…?

本当にそんなことが現実で稀にでも起きているなら信じられない。

でも私は周りのみんなの可能性は信じているからそういう言葉をかけるよ、もちろん。

そして、そう思っていてほしい。

認知のゆがみというやつなのかな。

そんなことに気付きもしないなら自分に優しくとか、????しかないのもそりゃそうか。

私恥ずかしいことにね、もうアラサーなのに、去年まで自分の感覚が全うだと、世間と同じものだと思って生きてたの。


みんなも自分なんてものはなくて、他人だけが大事なんだと。


なのにどうして自己中だったり自己主張をする人がいるんだろう、感情的になるんだろう、とかそれもわからなかった。


そういう人を性格悪いとか思ってなかったけど、ただただ理解ができなかった。


わたしには分からないものだらけだった。


それがカウンセリングを受ける1年間で少しずつ分かっていって、自分が違っていたのだと気付いた。


しかも相当、違っていた。
明らかに数年で簡単に埋まるレベルの違いではなかった。


本当に落ち込んで、塞ぎ込んだ。


でも知ってしまった以上、逆戻りができなかった


その時に人前で絶対泣かない私が初めて、カウンセラーに泣きながら

「どうしたら皆と同じ感覚で生きられるのか、あまりに私は皆の感覚と遠い、今気づいたことにも恥ずかしい」


と話した。
そこからカウンセリングの度に泣き出すようになった。


これが泣けるようになったきっかけ。


少しずつ、彼氏の前、幼馴染の前、友達の前、と泣けるようになってきた。


光、結構泣くね、って言うけど私は一人の時もっともっと派手に泣いてきたし回数と言えば毎晩一人で泣いていたし、それを人に伝えることもなかった。


これからもう少し感情を見せていくことも必要なんだろう。


気付かないと変えられないから、気付いたから変えられるわけではないけど、努力しなければいけないことに気付けたことは尊い。


うん、大丈夫、今日、私は、はなまる。


何故なら、PTSDの身体症状が止まらず嘔吐しているが彼が好物のカツ丼作ってやる!と言ってくれた。


いつもなら、ありがとうって食べて隠れて吐いてた。


けど今日は、まだ気持ち悪いから夜ご飯食べるの辞めておく、明日元気だったら作って欲しいな、ごめんね、と言えた。


けどやっぱり申し訳なくて、彼の夜ご飯は作るよ、とか彼はご飯しっかり食べてね、とか言ってしまった。


彼は少し意気消沈している。


この申し訳なさに耐えることも自分を守ったり大切にする一歩なのだろう。


油物を食べたり吐くのって結構しんどいから、身体を労った。彼の期待を断って。


優しさに応えてあげられなくて、本当にごめ  んね。

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