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私を病気にした人格障害の人間について

珍しく本気!で書く。




①母の境界性人格障害


母はおそらくADHDと境界性人格障害だ。

母は私に怒り狂い嫌味を言いまくり、人格を否定する。


私が呆れたり腹を立ててもういい、と自室にこもり泣いたり、考える。

それでも自分の何がいけなかったのかわからない日ばかりだった。


だが夜中でも構わず泣いて見捨てないで、ままが悪かった…おもちは何も悪くない…を繰り返し、わたしを育てた。


私は幼い頃は、母の父の悪口で本当に父は悪者なのだと心底信じていた。

なのに夫婦喧嘩の事が収まると「ままはぱぱが好きだから別れないことにしたんだ…」と悲しそうに言う。


幼い頃はそんな母を健気だと思っていた。


年月が経つにつれて、私の自我も成長し
母への不信感が芽生えてしまう。


そのときに気づく。


②父は悪者ではない


私と同じように母から
「私を分かって、認めて、満たして」
とされる対象であるだけだと。


でも私と父の違うところはキレるところ、暴力暴言では歯向かうところだった。


そういうことをしてしまう父は幼い子から見たら簡単に悪者だと納得させてしまっていた。


でも、父も毎度限界ではあったんだと思う。


だから逃げたんだろう。


家族ではなく、ひたすらテレビというものに。


父はテレビをいつでも見ていてそれが癒しのようだった。今はユーチューブらしい。片時もユーチューブを離さないようだ。


きっと、今も逃げ込んでいるのだろう。


③母は毎回わたしを「父とそっくり」と言った


あんなに父の悪口を言って育てた割にいつも気に入らないことがあると私にそう言った。


本当に一番つらい言葉だった。


「情けない」なども辛かったがやはり、あの「父にそっくり」が一番人格を否定されていると思った。


④初めてできた親友の境界性人格障害


わたしは小学生の高学年になっても友達とうまくいかなかった。


そんな中で、大親友が突如できたのだ。


のんちゃんと呼ぼう。
そう、ノートを読んでくれてる方は分かるかもだが
人格としてわたしの心に長く住まわせてしまっていたのんちゃんだ。


のんちゃんは、めちゃくちゃ優しくて少し抜けていて面白くて気が合って、家族を大事にする子でわたしをとても大事にしてくれた。


私の(話してはいなかったけど)痛みを全てカバーしてしまうような女の子だった。


のんちゃんとは毎週お泊りをし、6年生の冬頃仲良くなったが常に学校でも一緒にいたずらをして遊んだ。先生に怒られたりした。


でもやはり、のんちゃんにも埋められない傷があった。のんちゃんはシングルマザーでお金が少し大変なようだったしお母さんは彼氏がいて、あまり構ってもらってる所をみていない。


そしてのんちゃんの祖母のギャンブルの借金がみつかり、のんちゃんはもう本性というか、汚い言葉も行動も全力でわたしに全てをぶつけるようになる。


それでも

「私のためのおもちじゃないんだよ」

「親友が欲しいわけじゃない、おもちが大事なんだ」

「おもちといるときは小学生料金(中1になりたての頃)とかでも小さな悪い事をしたくない」

と銭湯で2人で空を見ながら

「これからもずっと一緒にいよう、大人になっても近所に住もう」

と約束した時間を私は忘れられなかった。

どんなに悲しい言葉をぶつけられても救いたかった。

なので、援交を誘われたときでさえ、
「私がのんちゃんを、変えてしまった」と思った。


毎日毎日のんちゃんが変わってしまったと思って罪悪感で自分を責め身体を傷つけていた。


のんちゃんは私の携帯を勝手に見てものすごい勢いで攻める。
どう頑張ってもこの子を満たしてあげられなくなった。


そのうち


「親友はおもちじゃなくてもいいんだよ?」


と脅された。


その時、私は


「のんちゃんがそうしたいならそうしていいよ」


といった。のんちゃん第一だったから。


そしたらのんちゃんは大慌てで


「は?嘘に決まってんじゃん!!何いってんの?ウチがいなくて生きていけるの?びっくりさせないで」


と言うのだった。混乱した。


カウンセラーいわく、境界性人格障害は空っぽらしい


テンションも高く楽く尽くしてくれるので、のめりこむ人が多いらしい。まさに私。


でもひとたびその境界性人格障害を、見せると離れたとて、無力感しかみんな抱かないらしい。


わかる、わたしもあの子のコップが満たせないことが辛くて悲しくて、どうしたら、どうしてあげたら、と全てを捧げても何にもならなかった。


悲しかった。今でも銭湯のとき見上げていた夜空を忘れられない。


でも、あの子はもう人を傷つけるだけのモンスターになってしまった。


それだけはわかる。きっと今も満たしてくれる何かに依存しているのだろうな、と思う。


⑤元夫の自己愛性人格障害


これはカウンセラーに教えてもらった。


わたしは元夫をASDだと思っていたが、人格障害だったらしい。 


本を読んだらまさにその通り。


わたしはコントロールされ、弱者にさせられ、傷つけられ、優しさや弱さをちらつかされ利用されて、否定したら、捨てられた。


あの人は6年間女の人と遊ぶのをやめなかった


浮気まがいなこともしてたし、多分浮気もしていた。


女の子が大好きな人であった。


けど、カウンセラーに教えてもらったが、常に自分を称賛してくれる人間が必要だったらしい。


わたしは称賛しなかった。お世辞は言わなかった。


だから、こきおろされた。


離婚に至った。


⑥人格障害の気分差


これはものすごいもので、産まれたときからこれに左右されたわたしは自己防衛として

「いつでも、ごきげん」

を身に着けた。

今も身に着けていて、彼氏とカウンセラーといるときに少しずつ剥がせるようになった


わたしがそうしてないと彼らは何を言ってくるのかわからないのだ


ただ私が降参して泣いたりすると彼らは焦って優しくなる。


私はPTSDなので心よりも身体が先に反応する。


目の前の人間に対しての、「気分」に。


そして次に「即座に察する」


匂いのようなレベルの速さで察する。


⑦目の前の人間は


母ではないのか、のんちゃんじゃないのか、元夫ではないのか


身体はわからないらしい。なので身体の反応で心も反応する。


トラウマとは恐ろしいもので。


わたしは彼氏が気分を損ねたり元気がないだけで限界の緊張状態に入る。


見分けがついていないのだ。つかない。
これからまた、こきおろされるのではないかと戦慄し身構え、必死にごきげんの技を繰り出す私。


彼氏は「ごきげん」を察するし疲れるらしい。


⑧人格障害は人の心を壊す


わたしは心を壊された。大切な人が人格障害というのは、本当に残酷なことだ。


わたしの壊れた心をかき集めるのは
大変な作業で十年以上かかり、少しずつ戻ってきた、仕舞われていた記憶とともに。


⑨それでも大事


母はきっとうまく生きられていない。


のんちゃんもきっと何かをずっと求めているか、依存している


元夫は孤独だろう


そんなことを可哀相に思う。


一番可哀相でボロボロになったのは私なのにそれでも尚罪悪感というものを残し続ける彼らは本当に凄いと思う。


それでも憎んだりできるほど簡単な存在ではない。


彼らにいつか、自分で満たす、ということができたらいいのにな、無理だろうけど、といつも思う。



おわり。


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