これからの目標
まだね、治ってないから確実なこと言えないし後退もするよ。
けどね、一つ言えるのは、
わたしはみんなと同じ世界を生きていなかった。
本当に膜に包まれて不安、不快に満ち溢れ、喜びなども受け取れない、受け取る容量がない世界にいた。
みんなのことが大事だった。
自覚がなかったしわたしはみんなもこんなつらい世界で耐えているのだと思っていた。
けど、解離と麻痺は本当に世界を変えてしまうのだと今ならわかる。
複雑性PTSDで歪んだ自己認識などもとても強固であったし、人を心から拒んでいた。
わたしが許していたのは友達だけだったように思う。
そして過去も自分のことではないように軽く話し笑っていた。だって過去だし、と思っていた。
だからみんなもびっくりしても今元気でよかったと言っていた。
でも、実際元気ではなかったしずっと辛くてたまらなかった。
普通に13歳の頃からずっと死にたかったし、自分はいつか耐えられず死ぬだろうと思っていた。
まさか、後ろにおいやっていたその過去がわたしを未だに苦しめているなんて本当に、心当りはあったがショックだった。
それに向き合うのは本当に辛かった。
あの頃の私は、苦しくても生活するしか無かったけど、
今の私は当時のフラッシュバックにはもう敵わなかった。
知識も経験もある上でのフラッシュバックは、一味違う。
だってそれは犯罪でもあったし、心を壊す好意、行為、言ってはいけない言葉、してはいけないこと、そういうものたちだと認識してしまっているからだ。
そこで、こんなものを今のわたしには受け止めきれないと思った。
フラッシュバックで死のうと何度も思った。
訳もわからず被害に遭うことと、わかった上での被害を感じることは、全く違うのだ。
本当に、本当に、ご苦労さまだった。
そして、わたしは多分子どものいない人生を送ることになると思う。
小さいころに描いていたものは何一つ叶わなかった気がする。
けど娘に凜とつけたい。と小学生のころ友達と子供に付ける名前で話していた。
私の亡くなった双子の子供の名前は、なつほとりんかだ。
ちゃんと凜がつく。夏蛍、凜夏。
この2人は私を短い間、母にし生きる意味を与えてくれた。
大きな苦しみだけど死ぬことを何度も止めてくれた。
わたしは色んな人に助けられて、
大丈夫だよ、大好きだよ、助けるよ、そばにいるよ、私には届いてるよ
と沢山の種をカラッカラの土に植えてもらっていた。
それをカウンセラーが耕し、ドクターが肥料を植え、見事、みんなの芽が出たのだ。
私は今、やっと、少し自由になれたところだ。
失った物も多いが縁があればまた繋がる。
そして本当にばかみたいな目標をたてた。
醜形恐怖症を脱したわたしは、もういい年だし美魔女になることを決意したのであった。
では、良き土日を🪐