初投稿の裏で感じたnoteの心地良さ
目に力が入り、眉間にしわがよる。
前髪の生え際がカァーと熱くなり、前頭葉に血液が集中しているのを感じる。
私は、あれこれと思い悩んでいた。
日常生活のありとあらゆる瞬間に、ふいに襲ってくる悩み。
頭の中で色々な意見が飛び交う。
いつものように私は考えすぎていた。
私がnoteに登録したのが1月8日。初めて投稿したのが1月20日。
その間、ずっと悩み続け、投稿ができなかった。
書きたい内容はすでに決まっているのに、文章の語尾を「です・ます」調にするか、「だ・である」調にするか、そんな些細な悩みが投稿を阻んでいたのだ。
「こんなことで悩むかね…」
自分でも辟易するが、私はいつもこうだ。
悩みすぎて、前に進めない。
石橋を叩いて叩いて、叩き割る。そして、石橋の修復に時間がかかる。
そんな自分を、
「どうして皆のようにできないんだ」
「どうしてもっと早く決められないんだ」
「こんなに悩んで、私はおかしいんじゃないか」
と責めながら、どうにかこうにかして期限までに答えを出すことが多かった。
しかし今回の私は、今までの私とは違った。
今までのように、自分を責めることも、「こんな私じゃダメだ」と自分を否定することもしなかった。
「これが私だ。いつかはきっと答えが出るだろう」と半ば諦め、放っておいたのだ。
そうこうしていると、
「悩むんだったら、納得がいくまでとことん悩んでみよう」
「一歩が踏み出せるまで、じっくり待ってみよう。」
という気持ちが芽生えてきたのだ。
そう思えたのは、noteの自由な空気感のおかげなのだと思う。
noteでは、全員がクリエイター。プロもアマも関係ない。
毎日投稿しているクリエイターもいれば、気が向いた時に投稿しているクリエイターもいる。
こだわりの内容を投稿しているクリエイターもいれば、ひらめきを重視しているクリエイターもいる。
悩みに悩み抜いたって良いし、直感に従ったって構わない場所なのだ。
それぞれが思い思いのジャンルで、思い思いの使い方で、自由にnoteを楽しんでいる。
雑多ではあるけれど、そこには多様性があり寛容な心が存在するように思う。
その空気感が私には心地良く、時間に追われることなくじっくりと自分に向き合うことができたのだろう。
初投稿を振り返りながらこのnoteを書いている今、些細な悩みを通して、とことん「私は本当はどうしたいのか」に向き合えた自分を、ほんの少しではあるが誇りに思えている私がいる。
それでは、今日はこの辺で。