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海の翼 特別編①:慰霊碑の物語

1929年(昭和4)6月、昭和天皇が、和歌山県に御巡幸になった時、大島に立ち寄られ、エルトゥールル号の遭難碑まで行幸ぎょうこうされています。

行幸を翌日に控えた6月2日、地元の83歳になる、樫田かしだ文左衛門ぶんざえもんという人(トルコ人遭難者の救助に当たった数少ない生存者の一人)を招かれ、遭難時の救助活動などの顛末をお聞きになっています。

そのうえで、翌3日、大島の樫野かしの桟橋さんばしから上陸され、徒歩で数十分を歩まれ、遭難碑の前に到着すると、挙手の礼をもってお参りをされたそうです。

現在、樫野崎かしのさき灯台とうだいそばには、エルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館(2015年(平成27)6月4日にリニューアルオープン)が建っています。

大島では、毎年6月3日に慰霊祭を執り行っています。

なぜ6月3日なのかというと、先に紹介したように、昭和天皇が行幸されたのが、昭和4年のこの日だったからです。

現在の慰霊碑は、1937年(昭和12)に改修されたものです。

最初の碑は、遭難事件の翌年の1891年(明治24)に、和歌山県知事はじめ有志の義金により、建立されました。

改修されたきっかけは、昭和天皇の行幸を聞いた、トルコ共和国初代大統領ケマル・パシャが、新しい慰霊碑を建立することを決定したもので、和歌山県が委託を受け、行われました。

改修された慰霊碑の除幕の日は、やはり、行幸と同じ6月3日(昭和12年)でした。

串本町と駐日トルコ大使館の共催による追悼式典も、6月3日に、こちらは5年ごとに行われています。

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