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「Human OS Migration Technology」とは

6月20日、「経営者のための 『人と組織が響き合うリーダーシップ』1Day講座」に参加しました

そこでの学びをシェアします 


マネジメントの勉強をしていると、「他人と未来を変えることはできないない 変えられるの自分と未来だけ」というフレーズに遭遇します

自分が変われば、自分の見え方が変わり、他人も変わっていくかもしれない

では、どうやって自分を変えるのか? そのために、どうやって自分を知るのか?

その方法を学びました


人間には誰でも無自覚な「信念」があります

僕の場合、「仲間はずれはダメだ」という信念があります

その「信念」から、無意識に様々な行動が起こり、結果として、「不本意な現実」生み出し、それを体験してしまうことになります

分かりにくいと思うので、僕のチームの例を示します

僕はその「信念」によって、僕自身も仲間はずれになることを避けたいと思います

なので、チームのメンバーに対して、言いにくいフィードバックから逃げてしまうことがあります

結果、チームの秩序が乱れ、チーム内にも仲間はずれやチームの分裂が起こることがあります うちもそういう状況でした

これが「不本意な現実」です

「不本意な現実」とは、不快感などのネガティヴな感情を伴う日常的な体験です


次に、ネガティヴな感情を解決するために、「逃避」しようとする行動、「克服」しようとする行動が起こります これらは応急処置的な解決を目指す行動であり、根本的な解決にはなりません

僕の例では、応急処置で解決しようとして、コミュニケーション研修の参加を強制し、関係性の良いチームを無理やり作ろうとしました

忙しい中、研修に参加させられたスタッフは疲れ、目に見えた成果も見えないので、僕への不満が溜まります 

そして、僕とスタッフの関係を悪化させ、お互いしんどくなる

「言いにくいフィードバックから逃げたこと」が「逃避」行動です

「コミュニケーション研修を強制したこと」が「克服」行動です

「信念」が起因となり、「不本意な現実」が起こり、それを応急処置で解決しようとすると、ますます自体は悪化する

そういう悪循環にハマってしまう

そういう悪循環が日常的に起こっています


人間の内面と行動は、こういう構造で成り立っています

この構造を理解し、「信念」へのアプローチが必要になります

「信念」の裏には、避けたい「痛み」があります

僕の場合は、「不調和」という痛みを持っています

人間関係の「不調和」です

それを避けるため、避けることを正当化するために「信念」を生み出します

その根底には幼少期の心の「痛み」があり、それに伴う「感情」がある

僕の例では、「不調和」という痛み、「寂しい」という感情です

その心の「痛み」の裏には、本当はこうなりたいという「思い」がある

僕の例では、「ありのままの自分を受け入れ、愛してほしい、尊重してほしい」という思いが潜んでいます

その「痛み」やネガティブな「感情」を麻痺させるような「信念(価値観)」が出来上がる

僕の例では、「仲間はずれはダメだ」です


根底にある「痛み」 これは通常は一つしか持っていないそうです

それの裏返しの「思い」も通常は一つです


信念は複数持っていますが、4つのメンタルモデルのどれかに収まります
この4つです
①一人ぼっち
②価値なし
③愛なし
④欠陥・欠損

僕の信念は「③愛なし」というメンタルモデルに収まります

①一人ぼっち →「どうせ一人ぼっちだ」
②価値なし →「どうせ自分には価値がない」
③愛なし → 「どうせ自分は愛されない」
④欠陥・欠損 →「自分には生まれつき欠陥・欠損がある」
というようなイメージです


根底の「痛み」は、幼少期の体験(特に家族との関わり)の中にあります

すごくプライベートな内容になるので、詳しいことは書けないですが、僕の場合、「母親の愛情をもっと欲しかった、それを兄と奪い合った」ということに関わる痛みがありました


チャートにするとこうなります
痛み → 感情 → 信念 → 行動(逃避・克服) → 不本意な現実


「信念」は「〜べきだ」と表現されやすく、「良い or 悪い」「正しい or 間違い」という判断、という二元論的な捉え方をしがちです

僕には「仲間はずれはダメだ」=「仲間外れにすることをやめるべきだ」という信念があります

「仲間はずれはダメだ」というのは完璧に二元論的な捉え方です

でも、二元論ではなく、全体論的な捉え方を目指しますを伴います

「仲間はずれは良くないという場合はよくある でも、大勢でワイワイするより一人でいる方が好きな人もいるし、状況によっては一人になりたいこともある どちらが良いわけでも、どちらが悪いわけでもない」というように、ジャッジせず、まずは何でも受け入れるというスタンスを目指します

では、どう活用するか? 

まずは内省が必要です

ネガティブな感情につながった日常的な体験から紐解き、深掘りし、自分の内面を探求して、自分の内面の構造を理解することからスタートします

不本意なことが起こり、ネガティブな感情を抱いたら、その都度、自分の内面の構造を思い出し、「だから、こういう見え方になる こういう感情になる」 と俯瞰して見ること

その不本意な出来事を体験している時は、頭を使わずに、「感じる」ことに集中する

解決しようとするのではなく、自分の中に何があるのかをひたすら「感じる」のです

そうしていくことで、状況は自然と良い方向に向かいます

それと同時に重要なのが
・ありのままの自分のことを理解し、受け入れ、自分を大切にすること
・他者のことをありのまま受け入れ、愛すること 痛みを理解し共感すること
 *「ありのまま」と「わがままを許す 甘やかすこと」を区別することが重要です


偉そうに書いていますが、僕はやっと学びを整理して言語したところです

「感じる」ということもまだピンとこないですし、ありのままの自分を受け入れることもできていません

今回の学びで、知らない自分を少し知ることができましたが、まだまだこれからです

安全安心な職場、安全安心なチームなど、「安全安心」という言葉が最近よく使われます

「安全安心」とは、すべてのメンバーが「ありのままの自分でいられる状態」と言い換えることができます

そのためには、まず、トップがありのままの自分でいられるということが必須です

トップがありのままで居れば、それはスタッフに伝染します

トップが二元論ではなく、全体論的に物事を見ることが出来たら、スタッフはありのまま受け入れられ、ありのままで居ることが出来ます


日常の中で起こる不本意な体験、それを上に書いたプロセスで検証し、自分で自分を振り返るということを習慣にしようと思います

また、この考え方をもっと勉強して、関わる人たちに伝えられるようになりたいと思いました


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