桜の花に寄せる想い、サウダージ(郷愁)
「良かったらもう一ついかが?」
結婚前に日本からサンパウロを訪れた時、この地で仲人さんとなる日本人ご夫婦のお宅で和菓子の道明寺(桜餅)を薦められた。日本のものと遜色無く、きちんと桜の葉の塩漬けに包まれた上等な道明寺。異国でいただく和菓子が思いのほか美味しくて、私が行儀悪くもぺろっと平らげてしまったせいで奥様は薦めて下さったのだろう。
閑静な住宅街にあるアパートの一室のリビング。窓に目を向ければ高層階にもかかわらず、ベランダに吊るされたボトルの砂糖水を青緑色のハチドリが飲みに来ている。手すりでは黄緑色のインコが身を寄せ合ってギュルギュルと囁き合う。驚く私に、
「ここは良い処だよ」
とパイプの煙を燻らせながら、私たちの上司であったご主人が仰った。異国で暮らすことに期待半分、不安半分でソワソワする若かりし頃の私を、道明寺の上品な甘みとそのお言葉がホンワリと優しく包み込む。
南国の鳥たちと日本の道明寺。いかにもミスマッチなような気がしたが、私がこの地で初めて日本を意識した瞬間だったのかも知れない。桜の葉の塩漬けがあるくらいだから、春には日本と同じようにここでも桜のお花見が出来るのかも。。当時の私は桜の花が後にどんなに郷愁(ポルトガル語ではsaudade、サウダージという言葉がしっくりくる)を呼び起こす事になるか、なんて思いもよらなかった。
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南半球のブラジル、サンパウロの季節は日本とは真逆。毎年7月の下旬から8月の半ばの頃に桜便りが届く。といっても、まとまった数の桜の木にお目にかかるにはちょっと遠出をしなければならない。その昔、日系のサナトリウムがあった山では毎年この時期に桜祭りが開催される。しかし、日系の方々により植樹された桜の木は大抵沖縄ザクラか雪割ザクラ。日本人が桜と聞けば一番に思い浮かべるソメイヨシノではない。
(うちの近所の公園に一本だけある沖縄ザクラの木。今年は思いの外暖冬で、花の見頃は例年より早くに終わってしまっていた。)
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現在、80代半ばに手が届こうとする義母は常々言っていた。
「日本の桜の季節にもう一度帰ってみたい。」
義母は軍人だった父親の決断で、戦後家族と共にこの国に移住した。既に日本で嫁いでいた姉や妹は残ることが出来たが、継母や自分の他、未婚だった姉、異母弟妹には父親の決断は絶対だった。
義母は日本で高校を卒業していたので(日本で勤めた経験もあるらしい)、こちらに来て日系の農業組合に就職、義父と出会い結婚した。そして私の夫を含む三人の子供たちに恵まれた。その後義父は日本の会社に転職、日本へ度々出張する機会にも恵まれたが、義母は子育てや義両親の介護、家事に追われて義父に同伴して訪日することは長らく叶わなかった。
子育てが一段落ついた頃、長男である私の夫が日本の電機メーカーに就職。逆出向制度で二年間日本で暮らすことになった。その期間のうちの約1ヶ月の間、息子を頼って移住後初めて日本を訪れた。移住してから実に40年近い年月が流れていた。残念ながら寒い冬の時期の里帰りだった。もちろん桜の花の開花を待つことなく祖国を後にした。
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義母とサンパウロ州内の山に桜を見に行ったことがある。満開の桜はそれなりにきれいではあったが義母は
「こんなのは桜ではないわ」
と言い放った。義母の意味する桜=ソメイヨシノ。確かにそうかも知れないなぁと今となっては私も思う。桃の花のようにピンクの花色の桜もそれなりに美しくはあるが、ソメイヨシノの白に近い、仄かなピンク色こそが日本人がイメージする桜の花色ではないのだろうか。
「私はもういっぺんだけ日本の桜を見てみたいのよ」
80の齢を数える前までそう言い続けた義母。その時に備えてパスポートもきちんと更新しているようだった。義母は私が嫁ぐ一年ほど前に義父を癌で亡くしていたので、長期の旅行でももう誰にも気兼ねをする必要はなかった。ところが、独身で同じく身軽な末の妹と誘い合わせて海外旅行をすることはあったが、行き先が日本となると叔母は決して首を縦には振らなかった。義母よりずっと幼くして祖国を離れた叔母にとって、桜の花はサウダージを感じさせるに値しなかったようだ。
一方、私たち家族は、夫の出張の時期(日本の7月、こちらの学校では冬休みの時期)に何度か帰国を果たして来た。義母に声を掛けることもあったが、酷暑の日本、桜の咲いていない祖国に義母はやっぱり関心を示さなかった。。
今では義母は大分歳を取り、めっきり「日本で桜の花を見たい」とは言わなくなった。これと言って持病があるわけではないのだが、すっかり元気を無くし数年前までの勢いはもう見られない。80代半ばともなれば日々穏やかに暮らすだけで精一杯。乗り換え時間を含めて含めて30時間近い旅行に耐えられるだけの体力も気力も持ち合わせていないということなのだろう。
そんな義母を見ていると、50代半ばを迎えようとしている私も焦りを感じるようになった。祖国でソメイヨシノをもう一度見てみたい。26年前に母と一緒に訪れた上野公園で最後に見たソメイヨシノ。春先のまだ少し冷たい風、春の柔らかな日差しの中で眩いばかりに咲き誇っていた光景が今でも目に浮かぶ。
私の夫は個人事業主として数年前から奮闘する日々。子供たちはそれぞれ大きくなったとはいえ、まだまだ学費がかかる年頃だ。そして追い討ちをかけるようにコロナ騒動の勃発。遠い日本が益々遠く感じられるようになって早数ヶ月。
私が日本の桜に特別に想いを寄せるのは年に二回。日本の春とこちらの春。「日本のソメイヨシノを見てみたい。」数年前までの義母と同じことを言っている自分が今ここにいる。
こんなご時世だからまずは命を大切にしよう。命あればこそ。叶わない夢はないと信じたい。
Saudades🌸🌸🌸
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