新年の呉散歩
奥様の実家のある広島県呉市に帰省しました。
1月3日まで滞在する予定でしたが、
奥様「やっぱりさ、実家うるさいけん、1日早く帰らん?」
普段標準語なのに、実家に帰ると無意識に広島弁スイッチが入る妻の提案で2日に帰ることになりました。
ふたりで散歩したいねって帰省前に話していたのに、結局姪っ子やらが付属してきて、実現できていなかったので、愛知に帰る前にふたりで呉の街を散歩することにします。
▷私と呉、私と妻
呉が私にとって第二の故郷であることは、以前お話ししていますが、実は私が呉を訪れたのは妻と出会ってからが初めてではありません。
学生時代、自転車に荷物を積んで旅をするサークルに入っていたのですが、2013年の春休みに高松から今治、しまなみ海道を通って呉を訪れたことがありました。
妻との馴れ初めはまた別記事で書きたいと思っていますが、「呉行ったことあるよ!」って話から会話が広がり、「どこかですれ違ったかもね」と言ってもらえたことが、付き合うきっかけの1つであったように思えます。
2013年に呉で細うどんを食べていたときの私へ。
「信じないと思うけど、そのうどん屋から歩いて10分もしない所に住んでいる人と結婚することになるよ。」
ガチですれ違っていた疑惑があります。こわ、。
▷呉市の西側を散歩
うどん屋は、廃業してしまったようで少し寂しいです。(サークルの打ち上げをした海軍さんの麦酒館も潰れた)
二河川に架かる橋を渡って、散歩チームは三津田高校のある方面に向かいます。
妻曰く、三津田高校は呉で1番頭がえらい高校だとか。
三津田高校から南へ、三条とか愛宕と呼ばれる所へ来ました。
呉には、明治から大戦期にかけて活躍した艦船の記念碑や慰霊碑がたくさんあります。
江戸時代まで、ただの漁村であった呉は軍港の街として急速に発展することになったのですが、増える人口に対して平地が足りないため、山の急斜面にたくさんの家が造られることになります。
急階段の細い路地が迷路のように入り組みます。
がけ地に立つ家は防災上よろしくないのでしょう、行政が補助金を出して移転を促進させているようです。おそらく今新しく建てることはできません。
両城の二百階段とかがある地区だと思われる。
海猿でロケ地として階段ダッシュとか撮影されたらしい。
義実家は古くから中心部にあったようで、やはり奥様は割とお嬢様家系なのかもしれない。(否定されますが)
階段を犬の糞を踏まないように注意して下り、再び三津田高校の横を通って帰ります。
▷さらば呉。からの発熱
何も今日帰らなくても、明日まで居てくれたらいいのにと言うお義母さんの発言は、妻には通じず。
一同のお見送りを受けて15時頃に呉を去りました。(遅い)
渋滞なくても着時刻は22時コースかなぁ、などと割と呑気に構えていたら、初っ端から四国からのUターンラッシュ合流渋滞にまず岡山で捕まり、神戸で捕まり、いつもの京都南で捕まり…
渋滞から来る運転疲れに加え、なにやら喉がイガイガする……次第に意識が朦朧としてきましたが、なんとか無事に愛知まで帰ってこれたのでした。
え?着時間?夜中の1時前でした。
その後3日は丸々寝込み、喉痛の症状が次第に悪化。熱を測れば37.8℃。おいおい。
もちろん仕事初めどころではなく、計らずして年末年始休みが10連休になったのでした。
おしまい