愛媛に伝わる神功皇后伝承
神功皇后の伝承地を巡る旅 ⑥ 愛媛編
道後温泉に行ってきました。
『伊予風土記』逸文に、【大穴持命(大国主命)は見て後悔し恥じて、宿奈毘古奈命(少彦名命)を活かしたいと思い、大分の速水の湯を下樋によって持って来て少彦名命に浴びさせたので、しばらくして生きかえって起きあがられて、いとものんびりと長大息をして「ほんのちょっと寝たわい」と言って四股を踏んだが、その踏んだ足跡のところは、今なお温泉の中の石に残っている】と記され、道後温泉本館の北側には、少彦名命が立ち上がった時踏んだ石と伝わる「玉の石」が奉られています。
『伊予風土記逸文』には他に、景行天皇と大妃の八坂入姫命、仲哀天皇と神功皇后、聖徳太子、舒明天皇、斉明天皇と天智天皇と天武天皇が来浴されたとも記されます。
そして、道後温泉本館近くにある式内社伊佐爾波神社は、「仲哀天皇と神功皇后が来浴した時の行在所跡に建てられた」と伝わります。
愛媛県各地に伝わる神功皇后伝承まとめ
【新居浜市】
新居浜市と言えば、住友財閥の発展に寄与した「別子銅山」(1973年閉山)の街ですね。今でも住友グループ各社へ入社した人は、研修を受けるのに最初にこの街を訪れるのだそうです。タクシーの運転手さんが言ってました。
船木神社
その新居浜市船木にあるのが船木神社。神功皇后が三韓征伐の折、軍船の用材を伐ったのが地名の由来と言われています。
大足智姫神社
「神功皇后筑紫行幸の途次この地に行宮をもうけ、しばらく御滞在になり、船木より船の用材を搬出せしめて軍船を作り、又船木の弓苧より産した麻を用いて弓の緒、即ち弦とされたと伝えられ、その後神亀五年に及んでこの聖跡に二柱の神を祀って大足智姫神社と申しあげたのがこの社である」と伝わります。
【西条市】
熱田津というところに、かつて石湯八幡宮があった(現在は橘新宮神社に合祀)が、その社は神功皇后の行宮跡に建てられたものと伝わります。
『伊予風土記』逸文に神功皇后の御歌が載っています。
橘の 島にし居れば 河遠み 曝さず縫ひし 吾が下衣
また、西条市には、飯積神社と石岡神社にも伝承が伝わります。順に紹介しますが、その前に、
伊曽乃神社
伊予三村(御村)別氏の始祖、景行天皇皇子 武國凝別命と天照大神を伊曽乃神として合わせ祀る式内社(名神大)で旧國幣中社。
景行天皇の皇子ですから、仲哀天皇の叔父に当る人物になります。叔父に協力を求めるため当地に立ち寄ったのでしょうか。
飯積神社
伊曽乃神社の御祭神 武國凝別命の孫、十城別王の創祀で、神功皇后が道後温泉に来浴された際に立ち寄っり、御神木の櫟で笏を作って鎮魂祭を行ったと伝わります。
石岡神社
こちらは三韓の帰路に立ち寄った伝承です。この地で神功皇后が天神地祇を奉斎したことから「祝いが岡」と呼ばれ、それが訛って「石岡」になったといいます。
【今治市】
「住みたい田舎ランキング」1位、「移住者割合日本一」の町です。タオルも有名ですね。
野間神社
御祭神 若彌尾命が三韓征伐で功あり怒麻(野間)国造(今治市西部)に任じられ、祖神である飽速玉命を祀ったのが創始とされます。飽速玉命は、成務天皇の御代に阿岐(安芸)国造に任じられたと記され(先代旧事本紀)、広島県廿日市市の速谷神社に祀られているそうです。
成務天皇の次が仲哀天皇・神功皇后ですから、阿岐国造の飽速玉命の孫である若彌尾命が三韓征伐に従軍し、怒麻国造(現在の今治市周辺)に任じられたのは時代も合います。芸予諸島の海人族をまとめて三韓征伐に従ったということでしょうか。
大浜八幡神社
全国の越智さん! こちらが発祥の地だそうです。
越智(乎致・小千)氏一族の河野氏家伝『予章記』によると、乎致命の四世後、三並が神功皇后新羅征討の大将として参加したという記述があります。
【松山市】
松山市の神功皇后伝承地は、冒頭の伊佐爾波神社の他に、「北条鹿島」へ行ってきました。
北条鹿島
初めてでしたが良いとこです。また行きたい。
小千氏と河野氏
河野氏の系譜を記した『予章記』によると、第七代孝霊天皇の皇子 彦狭嶋命(母ハエイロド、吉備津彦、倭迹迹日百襲媛命の異母弟)が伊予の地に来て、海童女である和気姫を妻とし三つ子が生まれた。御子の一人が河野氏の始祖小千御子であると記されます。
一方、 『先代旧事本紀』には、
とあります。この「小致命」を饒速日命の後裔とするのが先述の大浜八幡神社の系譜ですが、『予章記』には饒速日命の記述はありません。小千(乎致・越智)氏と河野氏に関する系譜はいくつかあるようです。
まとめ
今回の旅でここ愛媛にも神功皇后の伝承地がたくさんあることがわかりました。興味深いのは、瀬戸内の伝承を順にたどっていくと、岡山県までは本州の海岸沿いを航行して、牛窓から四国へ渡って、香川・愛媛県の沿岸沿いを航行したようにも見えることです。その後は、芸予諸島(しまなみ海道のある島々)をつたい再び本州側の沿岸(広島県)に戻り、穴門(山口県下関市)へ向かったものと想像します。ということで次回は広島編をお届けしたいと思います。
旅は、小千(乎致)氏・河野氏、そして村上海賊(村上水軍)のことをもう少し知りたくて、このあと大三島の大山祇神社に向かいました。小千氏・河野氏に関しては、後日、「お薦めの社寺⑪ 大山祇神社」の記事としてまとめたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。