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結局、マイナス思考

この2週間でいろんな所へ行き、
色んな人と会話する機会があった。

そこであらためて、
立場や性別、年齢、職種いろいろバラバラでも
ただ同じ場所、空間を共有しているだけで
仲良くなれること、
十分楽しめること、
自分の考え、感覚を調整できることを学んだ。

仲良くなれる、十分楽しめる、

ただ花見をするという名目だけで、
主催者以外は知らない人と飲み会をした。
知らない人の中には、
主催者の子供をかわいがってくれた、
今日初対面のおばあちゃんまで参加してた。

日曜の午後、
あたたかく優しい日差しの中で
「はじめまして」から始まる花見は
最近味わっていないスリルがある。
何話せばいいのか、
聞き役に徹すればいいのか、
回しに入るのか、
生きた「会話」をしていた。
楽しかった。
自然と仲良くなっていた。
もちろん、
天気や酒とかの環境のおかげもあるけど。

自分の考え、感覚の調整。
人と会話してないと
ホントに視野が狭くなるっていうか、
自分が話せていたネタがしまっていた、
頭の中の引き出しが開かなくなる。
てか、開け方を忘れる。
喋れていたのに、喋れない、
なんだっけ状態が続く、
自分の話の組み立て方が
雑でオチまでたどり着かない、
みたいなことになる。
人と関わっていないと
そういうところの筋肉が落ちていくんだなって
痛感した。

人の話をきいて、
自分の考えをまとめて話す。
人から感想、考えを求められた時に、
分からない、で返さない。
そういうことの積み重ねで、
自分の軸を整えていく。

いろーんな人がいて
のちのち合わないなってわかる時っていうのが、
ストレス。

関わっていく序盤で、
ちょっとした違和感が、
ある程度深めていったところで、
大きな嫌悪感になることがある。

そう滅多にある事じゃないけど、
あるだけストレス。

自分の中で違和感に感じたことを
多様性だからって飲み込んでいるのが原因。

多様性、だからって
自分の中に無理矢理納得させる
必要なんてないのは分かっているんだけど、
何かの縁で関わったんだからって
仲良くしたいって思ったり、
なんか自分と関わっている人が
減るのが嫌だったり、
なんかマイナスな気がして、

でも、無理な奴は無理な訳で、
体内に毒素を取り込んだ時に、
拒否反応を示すのが、早いか遅いかだけで、
なんかなあって感じ。

なんだかなあ、
人と関わるの好きだけど
関わる時の距離感が分からなくて
きついんだよな

しんどい

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