
授業が楽しみでならない
私の記事「原点となるもの」では、授業が楽しいと思えることの大切さについて取り上げました。
(https://note.com/kiitehakase_2024/n/n8d3f870c19b9 )
「授業が楽しみでならない」「あしたもこの子らと学びたい」と考えることのできる指導者は、日々、どんな準備、どんな授業への向き合い方をしているでしょうか。
今回の記事には、そんなことを記していきます。
授業は、「たいへん」と思ったことはあっても、「楽しい」なんて思ったことがない。
初任の先生や若い先生なら、これがホンネでしょう。また、そうでなくとも、せいぜい次のような思いかもしれません。
今日の授業は、みんな静かによく聞いてくれた。うれしい。
昨晩、時間をかけて作ったパワーポイントのスライド、オレってすごい!
予定していたとおりの授業で、準備していた学習プリントも最後までいけたぞ。次もがんばろう!
これが授業の楽しみだとしたら、少しうすっぺらなものだ、と私は思うのです。
実は、このようになってしまいがちなのには、わけがあります。それは、授業準備への力の入れ方、授業への向き合い方にある「つたなさ」です。
まず、授業準備への力の入れ方について。
若い先生方の中には、やれ学習プリントづくり、スライドづくり、やれタブレットPCへのデジタル資料のリンク、やれ評価と振り返りのシート、やれ「学び合い」と称するグループ活動(でひと息ついて……)と、今どきの手法をなんとか取り入れようとすることに終始してしまいがちな授業準備の現実があります。あれやこれやで「たいへん」。授業をするまでに倒れそうです。活用、活用、と研修の場でもさんざん聞かされますから仕方ありません。そして、それらをうまく扱えていない授業は、ダメな授業なのだと思ってしまっているふしがあります。授業の楽しみは、そんなコテ先のものに息づいてはいないのに…。このあれやこれやが、授業の自転車操業に拍車をかけていきます。大切なことを見失います。そして、授業をやり終えた後の思いが、「抜かりなく準備してきたつもりの自分へのねぎらいと満足」。…これだけでは、やはり△なのです。
授業準備。何よりも大切にするものは、次の3つです。この3つにこそ力を注ぐ必要があります。
①子らとともに学びを深めたい「学習内容」は何か。
(「そうか!」「なるほど…」「そんなふうに考えたり見たりすればいいのか」と顔があがっていく子らの姿をイメージしながら、実施する授業での「学習内容」を一文で書き表してみます。ぶれないようにするためです。ここでよりどころとするものが、「学習指導要領」です。指導者の手前勝手な内容をすえなようにします。)
② ①の学習内容に迫るために、どんな「問い」を子らの前に示せばよいか。
(この「問い」は、この授業を通じて教室の黒板に最後までかかげておけるような「問い」です。「めあて」とは区別します。)
③教室の黒板、いわゆる「板書」。授業後の最終形をどう計画すればよいか。
(教室の子らが顔をあげて学習内容と向き合う先にあるものが、「板書」。教室の子らの「思考」「試行錯誤」が集約されていくボードが「板書」なのだと心得ましょう。このことは、学習ノート指導にもつながります。タブレットPCは個別化の道具であり、顔をうつむかせます。また、板書がわりに使うものではないことも意識しましょう。)
この3つのことの「質」が上がれば、教科書・ノート・黒板・チョークだけで授業はなんとかなるものです。いや、これこそが、授業準備の「キモ」です。
次に、授業への向き合い方について。
上記のような準備ができれば、子らとの授業の時間です。この時間にこそ私たち指導者の醍醐味があり、指導者の確かな「向き合い方」「役割」が求められます。
その「向き合い方」「役割」を簡単に言えば、「子らの考えや思いを引き出し、それらを響き合わせること」「学びをみなで積み上げさせていくこと」です。この意識や覚悟を持つ指導者は、そのまなざしが常に一人ひとりの子に向かいます。一人ひとりの子をとらえようとします。よって、「授業が楽しみでならない」という先生は、授業で見せる子らの高揚感や前のめりになる姿を知っている先生です。そして、子らの考えや思いを引き出し、つなぎ、豊かなハーモニーを教室につくれることをなによりの楽しさとする先生です。そんな先生は、二度とできないような授業を子らとともにいくつも経験していきます。
先ほど取り上げた若い先生にありがちなうすっぺらな楽しさに欠けていたもの。それは、「授業において、子らがどうであったのか」の視点です。授業の楽しさは、子らとの中にこそあるのですから。
「授業が楽しみでならない」「あしたもこの子らと学びたい」と考えることのできる指導者は、日々、どんな準備、どんな授業への向き合い方をしているのか。私がこれまでにお出会いしたすぐれた実践を持つ先生方に共通しているものを、私なりにまとめてみました。いかがでしたか。
指導者が授業を楽しみでならないと思っていないのに、子らが楽しいわけがありません。
私たち指導者は、子らが「授業が楽しみでならない」「あしたもあの先生と学びたい」と思える授業について、その具体的な姿をイメージし、授業準備として最もウェイトをおくものは何なのか、そして、授業の中で指導者が果たす役割は何なのかを見定めたいと思います。やはり、授業づくりは「たいへん」です。でも、授業は楽しみでならないのです。いっしょに勉強しましょう。
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