理想と現実の角度。
角度の話。
自分が将来どうなりたいか、社会からどう思われたいか、自分のあるべき姿はなんなのか、それはつまり「理想」や「夢」「目標」という言葉に言い換えられるのだけど、このあたりの言語化ってむずかしい。
これがないと、ゴールのないマラソンを走っているようなものだ。これがないまま走っていると、他者との果てしない比較作業で人生が終わってしまうような気がする。
個人だけでなく、企業活動でも同じことが言える。その事業はなんのためにやっているのかが明確でないまま、ただ漫然と売上と利益を追求する企業も多い。
数年前に流行った「パーパス経営」が最たるものだけど「WHY」がないのだ。
もちろん、企業理念のように何か素晴らしいミッションを掲げている企業もあるにはあるけど、それが末端まで浸透している企業がどれだけあるかと考えると、そう多くはないのではないか。
うーん、どうかなぁ。
理想の姿を描けないまま「WHAT」「HOW」やるかに1日の時間を使って、結果的に疲弊していく。個人でも同じことが言える。
現実の生活に角度がないのである。
ある現状があって、そこに対する理想の姿が描けないと、ギャップも何も生まれない。
理想の姿を言語化できていないと、解決したい課題もわからない。何から手をつければいいのかがわからない。
解決したい課題がないと、それに対する対応策も浮かばない。こうして同じ毎日の繰り返しとなる。
何度も書くが、現状と理想に角度がないと、何も変えられないのである。行動変容が伴わないのだ。
この図は、生命保険の営業をやっていたときにしょっちゅう絵に描いた。ちょっとお客様を目の前にした「保険営業」で角度を考えてみよう。
現状の姿と理想の姿を言語化する。これが第一作業。そしてギャップがどれだけあるかを明るみにする。それをどう叶えるか、その途上でどんなリスクがあるのかを考える。
当時の仕事は「保険の必要性を考えてもらうこと」だったわけだから、途上に潜む見えないリスクを考えてもらう。
思い浮かぶリスクが実際に起こる可能性はどれくらいか、それが本当に起こったときに発生する経済的インパクトはどれほどか。そのリスクをわざわざお金を払ってまで防止しておきたいか。
「防止しておきたい」ならば、それがなぜかを考える。本当にお金を払う価値があるのか。それともないのか。
状況によりけりだけど、保険の場合たいていは「価値あり」だから、その解決策として保険が存在するわけで、こちらは保険にどんな機能があるのかを説明し、その効能を考えてもらう。
このプロセスがないと、保険販売はただの押し売りになると考える。これがないから「保険不要論」が生まれる。目に見えない保険という金融商品に角度という心が乗っていないためだ。
とにかく「角度」が大事だ。角度がわからなければ、課題も解決策も見えないから。
理想の状態を言語化するのは骨が折れる作業だ。自分がどうなりたいのか、どう見られたいのか、クサイ言葉でいえば「夢」はなんなのか? を言葉にする作業。何度も書くけど、夢を言語化すると現状との角度が求められる。
しかし、問題は「何もやりたいことがない」「夢? 目標? そんなものはありません。慎ましく生きられればそれでいいでっす!」という場合で。
「それはどういうことですか?」と聞きたい。
慎ましく生きたいのならば、なぜ慎ましく生きたいのか、慎ましさのレベルはどんなレベルなのかまでを詳細に描けていない人が多い。いまどきのビジネス界隈の人間が使う言葉に言い換えると、
解像度が足りない。もしくは粒度が足りない。
現状と理想の状態には、ほぼみんな角度が存在する。要はそれを言語化できていないだけ。もしくは言語化を放棄している可能性を疑ってみるといいかもしれない。
…
すでに2024年がスタートして3週間が経過した。
角度を求める、ということを今一度やってみるといいかもしれない。私も改めてやってみようと思う。自分の角度が全然わからないから。
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