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人生を左右する三者面談。
サッカーは小学校5年生から始めさせてもらった。
比較的おそいスタートだったので、まわりに追いつくために子どもながらに努力した。
家の前でボールを1人で蹴る。日が暮れる。それでも蹴り続ける。お母さんがニコニコして家から出てくる。
「ごはんだよ」
「ほーい」
小学校、中学校、そして高校時代も
サッカー部だった。
私の高校は公立だったんだけれども、サッカー部には素晴らしい指導者がいて、強豪私立高校をどんどん打ち破ってトーナメントを勝ち上がるような高校だった。
地区予選も危なげなく突破し、
北海道大会にも出場。
全国大会に出るには少し遠かったが、北海道内の公立高校としてはトップクラスになりつつある、その過渡期にあった。
そこそこである。
公立高校特有だが、偏差値もそこそこときた。
北海道大学への進学はもちろん、都内の有名大学にも生徒を輩出。入試偏差値は60だ。
ちなみに長谷川林太郎さんの出身校である札幌北高校は、同じ公立でありながら偏差値73だ。
ひょえ〜〜〜!!
いわゆる、地方の中堅進学校。文武両道を掲げる、よくあるそこそこの高校。生徒たちは陽キャが多く、男子は学ラン、女子の制服はかわいらしい。
それが私が卒業した札幌新川高校である。
2023年現在において、我が母校がどんなイメージなのかはわからない。少なくとも私のころはこうだった。
…
が、この高校に進学する気はなかった。
中学生の私は、サッカーに全フリしていたから。
勉強をする気が、なっすぃんぐだった。
とにかくサッカーがやりたかった。
進学先を考えたとき、まず第一優先はサッカーの強豪校であること。そして公立高校であること。
高校を出たあとのことは何も考えていなかった。
札幌新川高校よりも前に、公立高校として
めざましい成績を残した高校がある。
札幌ピロシキ高校(仮名)だ。
やたらとガタイのいい連中がいて、全員が丸坊主。ピロシキ高校もまた北海道の公立高校の雄であり、札幌新川高校より強かった。
が、頭はそれほどよろしくない。
要はカンタンに入れる高校である。
私はここに行けば、ガチンコサッカーの高校生活が送れるぞ〜、と思っていた。
…
中学のころの私は、部活ではなく、
地元のクラブチームでサッカーをしていた。
監督はタカハシ監督(仮名)といい、当時30代後半で本業は消防士。仕事のかたわらで私たちにサッカーの素晴らしさを教えてくれた。
努力することの素晴らしさも教えてくれた。
私の両親は、努力や根性という概念を私に植え付けず、自由に育ててくれたが、代わりにこの監督がその概念を私に植え付けてくれた。
成功したいなら、
かげで努力するしかないのだ。
中3の秋、私が所属していたチームのメンバーは、進学先の高校にどこを選ぶかを決めつつあった。それをタカハシ監督に報告する。
北海道の強豪私立高校を志望するメンバーもいたし、サッカーはホンワカできればいい、というメンバーもいた。タカハシ監督が進学先に口出しすることはなかった。
私も進学希望の高校を、タカハシ監督に言った。
「監督、ぼく札幌ピロシキ高校に行きます」
「わかった」と言ってくれるかと思ったら、
思わぬ返答が返ってきた。
「ダメだ」
……Why?
まあでも、ガチでやりたいと思ってたし、黙ってピロシキ高校に行っちゃお、と思って日々を送っていた。けど、そう上手くはいかなかった。
「ダーキ、まだピロシキに行こうとしてるだろ」
か、監督、なぜそれを……。
私の両親は、私の進学先にあれこれ言ってくることはなかった。が、タカハシ監督はあれこれ言ってきた。
「いいか、札幌新川高校に行け。素晴らしい指導者と環境がある。仲間たちができる。ダーキに絶対あっている。そして考えろ。高校を卒業したあとのことも考えろ」
うーーーーん……。
そんなことを言われて悩んでいると、
続けざまにタカハシ監督は言う。
「俺がダーキの親に話す。今度、家にいくからな」
細かい経緯は忘れたけど、タカハシ監督は我が家にきた。私と両親とタカハシ監督の三者面談である。
タカハシ監督は、とにかく札幌新川高校にいってほしい、ということを私に力説した。
その高校の指導者がどれだけ素晴らしい人で、どれだけの実績で、どれだけサッカー以外の環境も素晴らしいか、国立大学への進学率などもあわせて教えてくれた。
そんなの、余計なおせっかいじゃん。
とは思わなかった。
私の両親を含め、誰もそんなことは思わなかった。当時の私はサッカーのことしか考えられない少年だったのだから、タカハシ監督の言うことにも一理あるな、と思えた。
と、いうわけで方針転換。
当時の私はそれほど勉強を一生懸命やっていなかったから、札幌新川高校は少しハードルが高い。
勉強に勉強。
期間は少なかったが、
なんやかんや、ちゃんと勉強したら合格した。
タカハシ監督に
合格を報告したときに言われたのは、
「よかったな」
であり、
「サッカーだけが人生じゃないからな」
であった。
中学を卒業して、所属していたクラブチームも卒業することになる。卒業記念としてサッカーボールをもらった。そのボールには監督からのひと言メッセージが個人ごとに書いてあった。
私の場合はこうだ。
努力の男。かっこいい。
その後の楽しく愉快な高校生活は、
過去の私の記事でもご紹介している通りである。
ついでに書くと、私の高校生活があまりに楽しそうなもんだから、その様子を見た私の妹も、同じ高校に進学した。
あの高校を出た人たちはみんな言う。
「最高の高校だよ」
タカハシ監督には、そりゃあもう、
クソ漏らすほどに感謝している。
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〈あとがき〉
30歳になって久しぶりにタカハシ監督に会いに行きました。すると「ダーキは管理職みたいな話し方をするようになったな」と笑われました。進学した高校では、1学期の体育の授業で、のちに私と起業する男と出会うことになります。このエピソードもいつか書こう。今日もありがとうございました。
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