ダイエットは永遠に明日から。
鏡にうつる自分の顔は、実際の自分の顔と少し異なる、というのは、ある程度の大人であれば誰もが持っている共通認識かと思う。
飲み会の最後に撮った集合写真に写る自分を見て「ん? この、らっきょみたいな顔の奴はだれだ? あ、私か」となる、あの悲しいやつ。
鏡の中の自分と、現実の自分がなぜ少し異なるように見えるかといえば、左右の非対称性が原因。
おでこからあごの先に1本のラインを引いたときに、目の位置、眉の位置、鼻の位置、口の位置がシンメトリーであればあるほど美しいとされる。
鏡だと左右が逆転してうつる。
なので、現実の自分とは少し異なる。
芸能人を見てみると、ものの見事にシンメトリー、左右対称、というわけでもなく、大女優でさえも、左右で目の位置が少し異なったりする。
私は32歳男なので、スマホを使って自撮り写真や集合写真をパシャリ〜、という文化の中にはいない。
だから、写真にうつる自分の姿、つまり他人がいつも見ている私、を自分で見る機会というのは、それほど多くはない。鏡の中の自分こそが自分、と信じて疑っていないわけだ。
結婚してから4年が経ち、私も例に漏れず体重が増加した。入ってくる量と燃やされる量の差が年々大きくなってきたことを実感している。
昨年の今ごろ、札幌の街中を歩いていると、友人からブブッとLINEがきた。
なんだろう? と思って見てみると、
画像が1枚送られてきて、その次に、
という文字。「おっ!」と思って画像をよく見れば、これはたしかに街中を歩いているスーツ姿の私ではないか。
友人は車の運転中、信号待ちの最中に私を発見し、スマホで撮影したらしい。
と、笑顔が伝わるような返信をしたはいいものの、私の内心はおだやかではない。
画像を見て思ったのだ。
この姿を他人にさらしているのか、と愕然とした私は、その夜自宅に帰って妻に言った。
と言うと妻は冷静に言う。
結婚生活4年で、
こんな会話を少なくとも7回はしている。
妻が言う「痩せる必要がない」「痩せられたら困る」という言葉には、妻ならではの何かがあるのかな、と勝手に思っていた。
それはたとえば、久しぶりに実家に帰ったときに私の母が絶対言わない、
という姑の小言を警戒してのことなのか、単純に痩せると不健康だから、だとか、そういった体裁と健康上の理由なんだろうか、と思いながら過ごしてきた。
またある日、何の気なしに自宅にいる妻を写真に撮ってみた。妻は写真が大嫌いだから、滅多に撮らないんだけど、たまに撮るとブチギレる。そして、ブチギレながらこう言う。
なんだ、見たいんじゃん、と思って「ほれ」と見せてみた。すると妻は言った。
妻がこう言った瞬間、私は気づいた。
そうか、自分のことは鏡でしか見ないから、客観的に自分を見る機会というのはほとんどないのか。私が私の写真を見て愕然としたように、妻も妻でいま、自身の姿に愕然としているんだ。
なるほど。
だから私が自分自身に感じるほどの外見の差を、妻は私に感じていないのか。そうかそういうことか。
てなわけで、お返しに言ってみる。
妻は「ヒェーーーーーーーーッ!」と言って、私のスマホをぶん投げる。そしてその写真の削除を要求してきたので、わかったわかったと言って削除する。
と言うので、きちんと削除してあげる。
……
一時期よくテレビに出ていた芸能人が、パタっとテレビに出なくなり、数年ぶりにテレビに出演、というシーンがよくある。
数年ぶりに出てきた芸能人は、顔が少し膨れ、髪の毛もパサパサしていることが多く、それを見るたびに妻と、
と話すものだが、私たち一般市民は人様の前に出て、顔で自分を売っているわけではない。
理想と現実の姿の乖離、ジレンマ、分かってるけどムリ、みたいなことはよくあって、その筆頭がダイエットなんだろうけど、そんな高い意識を持ち合わせていない。
絶対ムリ。
ダイエットは永遠に明日からだ。
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