悩んでいる人はカニを食べよう。
人が食事中に無口になってしまう食べ物はなんですか? カニだよね。人はカニを食べるとき無口になる。この知識は漫画『クレヨンしんちゃん』で学んだ。
あれは何巻だったか、アニメでも第何話か覚えていないんだけど、野原一家がみんなでカニを食べているとき、誰かが「カニを食べると無口になるね」と言った。
そこから話が展開していくような、いかないようなエピソードだったんだけども、実家の六畳の部屋でこれを読んだ私はそこではじめて「カニを食べるとき、人は無口になる」と知った。
カニを食べるとき人はなぜ無口になるか。カニのことしか考えられなくなるからだ。厳密にいうと「いかにしてカニを食べるか」しか考えられなくなるからだ。
まず、カニを食べるためには、相当な集中力が必要だ。カニの硬い殻を割るには、力だけではなくテクニックも必要だ。割ったあとも中の身を取り出すためには、さらに慎重な作業が待っている。
このプロセスに没頭することで、頭の中は「どうやって殻を割るか」「どうやって身を取り出すか」といった具体的な課題でいっぱいになる。
カニの足をパキッと一本一本外し、丁寧に殻を剥がしながら、身を綺麗に取り出す行為はまるで、禅の修行のようである。誰かと「最近こんなことがあってさ」なんて話してるヒマもない。食べるという一点に集中しているから。
悩んでいる人がなぜカニを食べる必要があるのか、その核心に迫る前に、私の幼少期について書きたい。
小さなころ、実家ではよく海鮮食材が食卓に出てきた。なぜ海鮮が多かったのかというと、たぶん父が海の町出身だからだろうと分析しているのだけど、とにかく我が家は海鮮が多かった。焼かれた鮭、お味噌汁の白子、ご飯の上の筋子、綺麗に食べられるさんま、どでかいほっけ、食べにくいカレイ、そして黙って食べるカニである。カニといっても毛ガニだ。
毛ガニは身に味がよく染みている。だから味はたしかにおいしいのだけど、カニとしてのサイズは小ぶりだから、少年時代の私はもっと大きなカニが食べたかった。
いま大人になり思うのは、当時の凡庸とした我が家にしては「カニ」の登場回数おおくねーかな、という疑問。
毛ガニの価格はよくわからないんだけど、お母さんががんばったのか、それとも特殊な仕入れルートがあったのか、少なくとも年に3回くらい、いやもしかしたら7回くらい、もしかすると月1回、それくらいの頻度で毛ガニを食べた。
カニを食べるとき、人は無口になる。
それはもちろん当時の我が家にもあてはまったことで、毛ガニが食卓に登場すると私は「これ、しんちゃんで書いてた。カニを食べるとみんなカニのことしか考えないから無口になるんだよ」と言った。
母さんは「へぇ〜」と言ってくれたが、父さんは「うるさい! いいからカニ食べれ!」と言っていた。2人の妹ともう1人の弟は黙々とカニを食べていた。
私自身が大人になってからは、すっかりカニに会う回数は減ってしまった。海にも行かないし。やっぱり当時の我が家はカニの登板回数が多かったんだと気づく。私にとってのカニはまるで、小さなころにはよく会ってたけど、大人になって疎遠になった親戚のおじさんのようである。
そこで思うのは、
「カニを一緒に食べる」という行為は、家族レベルの信頼関係がなければできないのではないか? ということで。
よく「男女が焼肉を食べているならその2人は付き合っている」という話を聞くが、あれはたぶん「肉を焼く」という黙々とした行為の中でも気まずさがないという親密な関係性の表れであって、そう考えると「カニを一緒に食べる」という行為は「黙々と食事をする」という行為の最上級をいっている気がする。
だから転じてこうも思う。もしもこの先、私の会社の社員であるとか、つまりは私を慕う人が現れて「イトーさん、実は私、悩みがあるんです」と言われた暁には「え? どれくらい深刻な悩み?」と確認し「かなりです」と言われたなら、「じゃあ、一緒にカニを食べに行きましょか」と言いたい。
なぜ悩める人から相談されて「カニ」を提案するかというと、その悩みのバカバカしさに気づいてほしいからだ。たいていの悩みはバカバカしい。9割9分バカバカしい。
カニは全てを忘れさせてくれる。
一緒にカニを食べに行って、無心でカニを食べる。
相談者はこう思うはずだ。
......
...
おかしいな、せっかく悩み相談の時間を取ってもらったのに、なぜかここにはカニがいて、私はカニを一生懸命ほじくってる。まぁ、カニは真正面から向き合わないと味わえないものだから、仕方ないよね。
あ、あれ?
なんか一生懸命カニを食べてたら、いままで抱えてた悩みなんてくだらないかも? イトーさんはそれを伝えたくてカニを食べようって言ってきたのかな? しかも、無言の時間が多いけど変な感じしないって、結構信頼関係あるかも? まるで家族のような。き、きっとそうにちがいなーい。
...
みな、悩みには解決策があると思い込んでいる。適切な行動をとることで身の回りの不幸が解決されると信じている。しかし現実は違う。悩みの解決に必要なものは時間である。
なのに私たちは過ぎゆく時間を待てない。その点カニは時間に没頭することの有用性を教えてくれる。悩んでいるときの私たちはたいてい、なににも没頭していない。だからこそ悩む。
「カニ」というのはある種の例え話だけど、なにが言いたいのかというと、夢中になれることに没頭しよう、ということで。
もうひとつ付け加えたいのは、カニを一緒に食べても気まずくないような、そういう間柄の友人を増やそう、ということで。
てなわけで、あの甲殻類の代表格であるカニが、実は悩みを忘れるための最強の手段のひとつであるということを、みなさんにご報告して終わりたい。
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