文豪がいる美容室。
1年半通いつづけた美容室を変えることにした。一昨日、妻が「髪の毛を染める」と言って自宅を3時間半あけた。戻ってきた妻に「美容室どうだった?」と聞くと「まあまあ」と言う。
妻の「まあまあ」は限りなく最上級に近い賞賛なので、その翌日、つまり昨日、妻が行った美容室に私も行くことにした。
美容室は雑居ビルの5階にあるのだがエレベーターで行くことはできず、階段をのぼる必要がある。ドラゴンボールのカリン塔みたいだ。
少し息を切らしてのぼり切ると、ドアが開かれており中に入るとやけに広々としている。南向きの窓は畳5枚分はあろうかという巨大さで、外にはさえぎるものがないので陽の光がギンギンにさしこんでいる。
「らっしゃーせ」
「あ、予約してたイトーでごわす」
日曜の朝に行ったからかお客さんは私以外にはおらず、スタッフ4人を貸切にしているような雰囲気。店にはBGMがかかっていない。光の影響なのか視界と店が全体的に白い。
席を通され椅子に座る。目の前には物を置く棚があるのだが、そこには「文庫本」たちが置いてあった。ひと目見て「むむむ! これは!」と心臓がニコニコとする本たちのラインナップ。
ちょっとここで、並んでいた本たちを記憶の限りここに陳列してみよう。
『罪と罰』(ドストエフスキー)
『沈黙』(遠藤周作)
『海と毒薬』(遠藤周作)
『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)
『変身』(カフカ)
『人間失格』(太宰治)
『檸檬』(梶井基次郎)
『ファウスト』(ゲーテ)
『江戸川乱歩短編集』
『モルグ街の殺人』(ポー)
『中原中也詩集』
『老人と海』(ヘミングウェイ)
『虞美人草』(夏目漱石)
『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)
『かもめ・ワーニャ伯父さん』(チェーホフ)
『巨匠とマルガリータ』(ブルガーゴフ)
『異邦人』(カミュ)
『城』(カフカ)
『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)
『インスマスの影』(ラヴクラフト)
ほか
好みだ。
おそらくこの美容室には文豪がいる。
美容室によくある「雑誌」が1冊もない。ここに陳列したのはごく一部なのだが、目の前に並んでいるカラフルな本たちは、日本国内の名作、世界文学の名作たちだ。傾向としてロシア文学が多いようだ。
しかも本たちはどれも新品ではない趣で、何度か読まれたのであろう「ヨレ」がある。つまりここに並んでいる本たちを何度も読んできた人物がこの美容室にいることになる。
興味深い。
さらに「粋だなぁ」と思ったのは『江戸川乱歩短編集』と『モルグ街の殺人』が横並びに置いてあった点である。
『モルグ街の殺人』の作者はエドガー・アラン・ポーだ。江戸川乱歩のネーミングの由来になった作家である。見方によればポーはコナンのおじいちゃんみたいなもんだ。この2作品が横並びに置いてあるということは、本の持ち主からのなんらかのメッセージ・意図を感じる。嫌いじゃない。
「はじめまして、よろしくお願いします」
鏡に男性美容師が映った。金の髪、ひげ、メガネ、タトゥー、細身、ただようあのころの窪塚洋介感。この店のオーナー兼店長である。あとで聞いて年齢は私よりも下だと知った。もちろん彼がこの本たちの持ち主であるようだ。
「あ、おなしゃす」
「イトーさんですね、あれですね、昨日の」
「あ、妻がお世話になりまして」
「ご主人っすね、おなしゃす」
気になる。彼が文豪だろう。
たまたま選んだ美容室に私好みの小説たち。
鏡に映るのは明らかにあのころの窪塚洋介。
私は先日このnoteに「自分には文学の才がないからコンプレックス極まれり」と書いたばかりだ。そこに舌の根も乾かないうちに文学マニアの美容師をぶつけてきた。
「神め、粋なことをするぜ」
そう思いながら(思ってない)2人で他愛もないことを話す。店長に髪を切ってもらいながら、気になる読書歴について聞いてみよう。
「これ、江戸川乱歩とモルグ街の殺人を隣り合わせで置いてるの、いいですね」
「あ、わかります?」
「いい感じっすわ、これ〜」
「そうなんですよ〜本が好きで」
店長は話すと止まらなかった。
ハサミを動かす手を止め、熱くチェーホフを語ったかと思えば「イトーさん、それならこれです」と言って、どこかに消えたと思ったらディケンズの『大いなる遺産』の文庫本を手にもって戻ってきたりもした。
髪の毛が切れているのか不安になってくる。
ほかにも「ドストエフスキーの何がすごいって、別人が書いたような、まるで本当に存在するかの如くそれぞれのキャラが立っていることです」と言っていたり「ヘミングウェイはなんでもないことをなんでもなさそうに書く天才だ」と言っている。
店長、私の髪の毛に集中してくれてますか?
さらには、遠藤周作を読んでいると辛くなってくるし『沈黙』の映画を見たときはいっそう辛くて、終わったあとはトイレにも立てなかったと言ったりもした。最近は宮沢賢治の『アメニモマケズ』の朗読を聴きながら通勤しているらしく「やはり岩手の人は思慮深い」らしい。
私はすべてに同意しながらも、自分の髪の毛が丸坊主になっていないか心配になってくる。
45分が経過したころ「これで終わりです」と店長が言うから「え? マジで?」と思って確認してみると、さすがに丸坊主にはなっておらず、注文通りの仕上がりになっていた。店長すげぇ。
ささやかな自己愛なのだが、店長との読書談義の最中、わからない話がなかった。それぞれの作家の特徴や、代表作についてああ言えばこう言い、こう言えばああ言う会話。
「こんなに分かり合えるお客さんは、そういないですよ」
店長はそう言っていたが、そっくりそのままブーメランのように返したい。また気が向いたら行こうかなと思ってる。どうしようかな。
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