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自分で作らないと見えない世界がある

料理を作るのが苦手。

自分が台所で手を動かすことで、
「料理は女性が作るもの」のイメージが強くなってしまう気がするから
というのが一番の理由だと思う。

ほんの0.1mm程度の微々たる影響だとしても、そう思う人が身近で発生するのが嫌なのだ。

だから、料理をする選択を極力してこなかった。


だけど、それがもったいないことだと最近気がつく。自分で料理を作らないと、おいしいものに気づけない。

食材や調味料の味を知らないと、目の前を味が素通りしていく。口に入れ、その場でおいしいと思っても、味の分解ができないと記憶しておけないからだ。

塩こうじの甘味がおいしいだとか、クミンの香りがよく合うだとか。味を知らないと「なんかおいしい」としか思えなくて、気づいた頃にはおいしさを忘れている。

実際に料理をしてみると、「男性が」とか「女性が」みたいな感覚はまったくなくなる。「この調味料ってこんな味がするんだ」とか「これとこれを組み合わせると、こんなハーモニーになるのか」と発見が絶えなくて、いろいろ試してみたくなる。他に料理をする人と情報交換するのも面白くて、話している相手の性別なんてそこでは意識しない。

「女の子なんだから」「お姉ちゃんなんだから」と小さい頃から料理を強いられてきて、大人になってからもその抵抗感は拭えずにいた。けれど、好奇心に従って作ってみると、自分がどれだけダサい感覚でいたかと思い知らされる。

まだまだ自分には、わからない味がある。おいしさを深く知るには、もっと食材や調味料を自分の手で試していかないとなぁと思っているところ。

話は変わるけれど

同じ理由で、日傘をずっと使ってこなかった。女性が使うものだから、自分は使いたくないと思っていたのだ。

だけど実際は、体感温度が大きく変わるし、外にいるのが随分と楽になる。あれだけ悩まされていた頭皮のかゆみも、日焼けによるものだと気づいて、何でもっと早く使ってみなかったのだろうと悔やんでいる。

日傘で夏の世界が変わった。使っていない人を見ると、以前の自分を思い出して残念に思うときがある。

行動する前にジェンダーを意識して、飛び込むのをやめてしまう。そういうことってたくさんあるのかもしれない。今より豊かに生きるためには、もつれをほどいていく必要があるなと思っている。

ただ、今の豊かさで十分だと思っている人に、「こうしたほうがもっと豊かになれるよ」と強要するのも違う気がしていて。それが人と生きることの難しさだな、とも思う。

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