子どもと絡むのが苦手な先生だった話。
こんにちは、ひすとりです。
今日は、教員をやっているときに自覚していなかった「子どもとのスキンシップが苦手な特性」をふりかえる回。
■子ども特有の絡みが苦手な特性アリ。
大人の反応を確かめるように、イタズラしてきたり、わざと強い言葉を使って怒らせてみたり。
そういう子ども特有の絡みが、かなり苦手だ。
もちろん「子ども」と一括りにするのは乱暴で、一部の子どもではある。
でも教師をしていたときは、一度に大勢の子どもと対峙する訳で、その一部である子どもが、結果的には大勢いるのである。(伝わりますかね)
どうしてもそういう「お試し行動」を受け流せなくて、
なんなら私に対する信号なんじゃないかとか考えちゃったりして、
心の正面から殴られるような感覚になるのである。
■子どもっぽいものが苦手なのは、無意識の羨望。
教師をやっていた当時は、そういう感覚を持つ自体やっちゃいけないことだと思っていた。だって教師なんだもん。そんなことを言っていたら、この職なんて続けられないよ?って。
でも、適応障害になったりして、結局教師を辞めてようやくわかった。
私自身が本当は、もっと子どもっぽくして誰かに頼りたい人間だったんだ。
カウンセリングを受けたりしていくうちに、子供っぽいものが苦手で、なんならイライラしてしまうという特性を紐解いてもらった。
幼少期の忙しい家庭環境も相まって、昔から空気をよんで、中和する役割を担って生きてきた。だから、子どもっぽい時間を人より少なくしてきたんだとか。
だから、羨ましいのだ。
そういう子どもたちが。
大人にどう思われるか、正解は何か。
行動原理の中心が、他人の感情だった。
◇
それにしても、こんな特性があるのによく教師続けてたな(笑)
いや、本当によく頑張ったな自分。
労わってあげたいですね。
そんなわけで今はかなーり遅くなった「子ども時代」練習中です
好きなことをやるし、相手の要望にはとらわれずに「自分」を持つ。
これがなかなか難しい。ちょっとずつ、自然体を目指していきます。
もし、共感してもらえる方がいましたら嬉しいです。
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