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遠いところ


ちょっと前に流行った言葉で「QOLを上げる」っていうのがありましたね。quality of life -生活の質を上げるって意味。最近もまだ使われているのかしら?

この生活の質を上げるってのは、色んなアイデアが紹介されているけど、いざやろうとするとなかなかにめんどくさい。例えばちょっと良い寝具に買い替えるとか、歯ブラシを電動に変えるとか、部屋にアロマの香りを取り入れるとか。
あるいは引っ越すとか転職するとか、ちょっとじゃ済まないくらいめんどくさいけど、生活の根本を変えることで、得られるものは多いのだろう。

腰をあげて、ほんのひと手間掛ければその後の生活は豊かになるかもしれない。だけど、電池交換とか引き出しの整理とか、フィルターの掃除とか、5分で終わる作業を何ヶ月も後回しにしちゃうわたしにとっては、そのちょっとがなかなか遠い。

厄介なのは、生活って雑にしているとどんどん後退していくことだ。そして、やがて体調が崩れたり、メンタルが落ちたり、仕事に支障がでたりする。遠回しに自分の首を絞めることになるとわかっているから、めんどくさいをなんとかこなして今日も生活する。

だけど、そうやってカバーできるのって些末な事ばかりで、そもそも最低限の衣食住を確保できていることが前提だ。
もっと生活のベースの部分を整えるには、個人の力でどうしようもないことは、社会の助けが必要な場合がある。

映画「遠いところ」を観てきました。
沖縄のコザを舞台に、キャバクラで生計をたてながら2歳の子供を育てる17歳の少女の物語。

簡単に2行でまとめただけで、もう既に重いよね。
実際、沖縄の社会問題をテーマにした映画で、2時間ずっとしんどいが続くストーリーだった。
だけど、しんどいけど心に響く、見てよかったなっていう映画だったので感想をまとめてみようと思います。


※ここから先はネタバレがあります。

目の演技がすごい

まず、主人公アオイを演じる、花瀬琴音さんの演技がよかった。特に、目の演技。

大人たちが、アオイに対して色んな言葉を掛ける。そのほとんどは、責めたり、追い詰めたり、説教するための言葉。で、大人たちに対してアオイが言い返すことはほとんどないんだけど、目で語っている。おまえの面倒は見ないと言うばあちゃんに、キャバクラで稼げと吐き捨てる父親に、示談金の金額を伝える弁護士に、母親の自覚はあるのかと責める警察官に、生活をちゃんとしようと諭す社会福祉士に対して、アオイはもういいよ、おまえになにがわかんだよ?って感じで心を閉ざす。その瞬間の、光のない眼差しにドキッとした。

選択肢があることを知らない

仕事が無くなる。家が無くなる。子供と一緒に住めなくなる。暴力を振るわれる。体を売らざるを得なくなる。転がるように悪くなっていく状況に、どこからやり直せばいいの、何がダメだったの?と誰かに聞きたくなる。

フィクションなのにドラマ性が少ない。ピンチに誰かが助けてくれたり、都合よく物事が進んだりしない。だからずっと苦しい。
映画ではなく、現実。というコピーが刺さる。

どうしてそっちを選んでしまうの?と思うけど、アオイは選んでいるわけじゃない。

それしかなかった。それ以外の選択肢があることを知らなかった。だってまだ17歳。普通なら女子高生で、自分のことばかりに夢中になっている年頃だ。世間なんてほんの少ししか知らない。知らなくて構わないはず。

スマホがあるんだから、インターネットで検索すればよいと思うかもしれない。だけど知らないことは調べることも出来ない。
もっと言えばタスケを求めるための言語化能力もない感じがした。アオイはあんまり喋らない。


甘えさせてくれない

アオイにとって、救いは子供と夫それから親友。

逆に言えば、それ以外の人には心を開いていない。周りの大人達のアオイへの態度をみればそれは自然なこと。

実の親には捨てられている。祖母は冷たい。義母は優しそうに見えるが、泣いたり謝ったりするだけで助けてはくれない。

法事のシーンが印象的だった。
伝統的なシーミー。お墓の前に親族が集まって食事をしたり歌ったりする。血のつながりを大事にする、いかにも沖縄って感じののどかな風景。アオイも参加している。
だけど、死んでる人は大事にされて、生きている子供がぞんざいに扱われていることに違和感がすごい。祈る前にすることがあるだろう?

公的機関のことばも届かない。
「大丈夫か?」ということばがこんなに薄っぺらく聞こえるんだ、と思った。誰も信じられないから、心配が嘘に聞こえてしまう。

「次の面会までに子供と暮らせるように考えましょう」助けるつもりで言っている社会福祉士のことばがアオイには全く響いていない。

安全なところから、恵まれた境遇にいられる立場からそう言われたって上から目線で、うるせえとしか思えない。反抗するアオイがすごいリアルだった。

大人が甘えさせてくれない。いつも自分でなんとかするしかなくて、そこから逃げられないから、近い人間関係に執着する。
自分と同じ状況、嫌な言い方をすればレベルが同じくらいの仲間しか信じられなくて、それがどんどん状況を悪くしているように感じる。


エンディングが良かった

映画の途中から、これ、どうやって終わるんだろうと疑問だった。状況は悪くなる一方。ハッピーエンドなんてもってのほか。救いがあるとは思えなかった。

たがら、最後にアオイが子供を連れて夜の海へ入っていったときは、ストンと納得した。とても自然な選択だと思った。

生きることは不条理ばかりだけど、自由に自分の意志で死ねることだけは、人間全員に平等だ。

いつでも終わりにできることは時に希望でもある。ただ、自分だけならそれで済んでも、子供や保護するべき存在がいたら、逃げることも簡単ではない。是非はともかく、最後に子供と一緒に死ぬことを選んだ主人公に、ああそうだよね思ってしまった。

アオイが子供を抱いて夜の海へ入って行く途中で、ストーリーは終わる。

ポスターの背景はラストシーン
空は明るい、朝焼けだったらいいのにな


実際自分からは遠いところの話でもあった。重くて共感しずらいストーリーに入っていくにあたって、サールナートホールさんのこの言葉が補助線になってくれた。


見た後に、すごく無力感。制度とか社会構造とか、大きなものが女の子を搾取している。

生活の質と貧困問題を同列に語ったら、不謹慎と言われてしまうかもしれない。だけど、もっと良く生きたいのに日々に押し流されてしまうその感じは、確かにわかるよ、と思った。

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