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チョコが食べられない

私はチョコレートが食べられない。
子供の時にチョコレートを食べすぎて大量の鼻血を出して以来、トラウマでチョコレートが食べられなくなった。この話をすると「チョコを食べられないなんて人生の半分を損しているよ」なんて言われるが、自分の人間性で運良くそこそこ幸せに暮らせているのだから、友人や家族には恵まれてる。だから損をしている所か、かなり得をした人生だと思う。
映画の名言の中に“人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないと分からない。”とあるが
私のチョコ嫌いは相当なもので、密封包装でもされていない限り、開けていなくても匂いをかげば、これは食べられないなとすぐにわかる程だ。

そんな私の職場の机には欠かす事なくチョコレートが置いてある。
私は工場で働いているのだが、流れ作業の様な仕事ではない為、色々な人が私の所を訪れる。部品の供給に来るパートさん、前工程で終わった仕事をもってくる同僚、後工程で製品を取りに来る他部署のスタッフ等、工場で働いているとは言え、様々な人とコミュニケーションを取る。
時には製品や図面の不備などがあり互いにイライラとした状態でやり取りをする事もある。
世の中に楽な仕事などは存在しない。どんな仕事でも辛い一面があるはずだ。それでも、何処かに遣り甲斐を見つけて辛い仕事をどうにか楽しまなくては、その仕事を続けていく事は不可能だ。
仕事を少しでも楽しくする為に円滑な人間関係は、不可欠だと思う。周りがイライラしている職場で働くのは辛い。ただでさえ空気を読むとかTPOに応じた対応を苦手とする自分は、周りが普通の状態でもイラつかせてしまう事が多い。
そのイライラは結局、自分に返ってくる。
周りも自分もイライラしては負のスパイラルで完全な悪循環だ。
そうなる前の対策として、私は私の所へ来る人にチョコレートを渡す様にしている。
糖分が不足すると人間はストレスが溜まり、
イライラするらしいので前もって糖分を摂取してもらっている。加えて安いチョコレート一個でも大抵の人は喜んでくれる。仕事内容以外で話かけにくい他部署の人であっても「チョコ食べる」と聞く事で話をするきっかけの一つになる。チョコと一緒に何か気の利いた一言を渡せれば少しは雰囲気も和む。自分にとってチョコレートは食べ物ではなく大切なコミュニケーションツールだ。このツールのおかげで人間関係も良くなり、仕事も潤滑に回る。他人に喜んで貰えたら自分も嬉しい。
物で釣っているみたいだと言う人もいるかも知れないが、要は渡す側の心持ち一つだと思う。
チョコを貰った人も嬉しい。渡した自分も相手に喜んで貰えて嬉しい。嬉しいという感情を共感出来るのだからストレスの軽減に繋がる。
だからといって調子に乗ってダラダラ働いていると怒られるので最低限の仕事はこなさなくてはいけないのだが…。
チョコを食べられない自分は人生の半分を損しているのかも知れない。しかし、自分が食べられない分を周りに食べて貰う事で損得のバランスを取っている。

…まぁ、チョコレート一個で全てが上手くいく程、
仕事は甘くないのだろうけど…。

終わり

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