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深川岳志さん

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記事一覧

失われた言葉

 私は、スーパーの棚の前で立ちつくしていた。
 果実だよな、これ。種類まではわからないけど。
 赤くて丸い果実には、値札しかついていなかった。
 精肉コーナーにいくと、事態はもっとひどかった。
 切り落としたもの、細かく挽いたもの、分厚いもの。ラッピングされた肉には、値札と賞味期限しか書かれていなかった。
 スーパーが発狂したのではないかと思い、向かいの精肉専門店を見てみたが、事情は同じだった。

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坂道注意

坂道注意

 自宅から二十分の自転車通学。
 最短ルートは頭に入っているけれど、同じ道ばかりじゃ面白くない。
 帰り道で、ふと、横道にそれてみた。
 アパートが並んでいる道だが、やがて民家が多くなり、どんどん古びた感じになってきた。左側へ行きたいのだが、どこまで走っても右側への曲がり角しか見つけられない。道自体も微妙に右側に湾曲している。走れば走るほど家から離れていくようだ。
 戻ろうかと思ったが、ずっと続く

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【ショートショート】気分屋

【ショートショート】気分屋

 背中に引き出しのたくさんついた箱を背負った中年男がいい声を出した。
「きぶんーや、きぶん」
「あ、きぶんやさんのおじさんだ。きぶん、ちょうだい」
 小さな家から、手に茶碗をもった子供が飛び出してきた。
「ぼうや、どんな気分がほしいんだい」
「おかあさんがパッと起きて、ごはんを作ってくれるきぶん」
「それはまたずいぶん難しい気分だねえ」
 おじさんは笑って、すこしの液体を椀のなかに注いでくれた。

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熊の出てくる日

 正三は、今日が熊の出てくる日であることをすっかり忘れて、山へ寄らずに、自宅に帰ってきてしまった。なんだかやけに動物の多い日だなあとは思っていたのである。
 道路ののそこら中をコドモを連れたアヒルのお母さんが練り歩いている。紐につながれていない犬もたくさん走り回っているというのに、ぜんぜん動じる気配がない。それというのも、犬どもがまた、満面に笑みを浮かべ尻尾ふりまくりの状態で走り回っているからだっ

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代理人

 はい。書類の申請ですね。ここで結構です。ご本人ですか。え、そんなわけはない? いや、そう言われましても、書類は本人申請が原則でしてね。代理人? はあ。では委任状を見せていただけますか。……あの、ご印鑑は? ない。拇印を押してあるからと申されましてもですね。ご本人様とあなたのご関係は? え、ややこしい。ややこしいと言われましても。主従関係。なんですかそれは。どっちが主なんですか。わからない? わか

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【SS】動く城塞

【SS】動く城塞

 新宿駅の複雑さには一生馴染むことはないかと思っていたが、十年も使っているとさすがに慣れる。いまではもう丸ノ内線の改札から出てアルタを経由し西武新宿線新宿駅まで歩くのも平気だ。
 ただし、新しい路線はダメ。せっかく複雑怪奇な私鉄と地下鉄とJRの位置関係を把握できるようになったのに、なぜ大江戸線なんてものを通す。いつも丸ノ内線の改札を出てからしばらく立ちつくし、人の流れをかき乱してからようやく方向の

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マイキリ

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

 都会の毒に当たったと自覚したので、一ヶ月のリフレッシュ休暇をとった。
 思い切って鄙びた温泉宿に投宿したが、一週間もたつとすっかり退屈してしまった。街に出ても拷問のようなストリップ小屋と雑貨屋しかない。
 雑貨屋で「電池をくれ」と言ったら、マンガン電池を出されて目が点になった。いまどきマンガン電池を売るか?
 そんなわけで散歩しかすることがない。
 朝食

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家電

 長期失踪中の妻からメールが届いた。
「うちauだから、家電から携帯にかけても無料だよ」
 失踪しているくせに寂しいからといって毎日、何時間も電話してくるのである。出ないと怒る。
 auにはいろいろな割引があって、登録した携帯同士とか家族同士は無料で通話できるらしい。しかし、家電も対象とは驚いた。
 私は冷蔵庫の前に立って、しばらく茫然としていた。
 どうすればいいんだろう。
 ただ、喋ればいいの

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【ショートショート】限界集落

【ショートショート】限界集落

 雪。雪。雪。雪。家。人。犬。雪。雪。雪。雪。
 みたいな村で育った。
 高校を出た私は都会に出て、それから一度も村に戻っていない。
 人の内訳は、じいちゃん、ばあちゃん、それに父母だ。
 苦労して育てて、ある日ぽっと蒸発するように消えてしまった息子のことを村の家族はどう思っているだろう、なんてことを考えたのは、自分に子供ができたと知ったときだ。
 柄にもないことを考えなきゃよかったのだが、私は同

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電源ボタン

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

「携帯の電源をお切りください」
 芝居の開演前に放送が流れ、観客席ではあっとかおっとか言いながら何人かが電源ボタンを押した。
「あれ?」
 という小声。
 しかも、複数。
 携帯の電源が落ちない代わりに、ロビーの照明が落ち、あるいはパソコンの電源が落ち、新幹線が止まり、掃除機が黙った。
 誰かがなにかの電源ボタンを押すたびに、それとはまったく関係のない場所

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派遣斬り

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

 薩摩五郎は特殊な派遣会社に所属している。いわれなき迫害を受ける派遣社員は、自分の身を守る術を会得する必要があった。
「あなた、これを」
「うむ」
 妻が持ってきたのは、江戸時代より伝わる家宝の日本刀だった。
「本日もご無事でお戻りくださいまし」
 薩摩五郎が出社して、第二営業部に向かって歩いていると、いきなり斬りかかってきた者がいる。即座に切り倒してから

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賽子分裂

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

「入ります」
 助手は、生体サイコロをビーカーに放り込んだ。
 ビーカーは、白布の上に置かれ、あたりにはずらりと人相の悪い連中が居並んでいる。
「丁」
「半」
 現金が乱れ飛び、
「はい、ここまで」
 と、博士がストップをかけた。
「そろそろ分裂します」
 博士の発明した生体サイコロは、正六面体だが、数字はひとつの面にしか浮かび上がらない。
 三回分裂する

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【ショートショート】怖い食卓

【ショートショート】怖い食卓

 暗い、細い路地。あたりを夕闇が包み、闇となるのももうすぐだ。
「いひひ、今日はここにするか」
 小さな、誰にも聞こえないような声で呟く幽霊。
 なかなか成仏できない低級霊にとって、人を驚かせることだけが唯一の楽しみだ。
 窓明かりが消えているのを確認してから、ボロアパートのドアをすーっと通り抜けた。
 畳の上に座る。
「いひひ、いつ帰ってくるかな」
 乱暴にドアを引き開けて、四十過ぎの男が帰宅し

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廊下のない街

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

 本を読むのに一番快適な環境はどこだろう。
 わたしは電車の中だと思う。
 適度な振動、落ち着いたざわめき。
 眠くもならず、逃げ出すこともかなわず、活字に没頭できる。
 ホリデーパスのチケットを購入すれば、関東近郊の鉄道を一日中乗り放題だ。鈍行を乗り継ぎ、どんどん活字にのめり込んでいるうちに外が暗くなっていることに気づいた。
 時計をみると午後九時。朝の

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