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【SS】動く城塞

 新宿駅の複雑さには一生馴染むことはないかと思っていたが、十年も使っているとさすがに慣れる。いまではもう丸ノ内線の改札から出てアルタを経由し西武新宿線新宿駅まで歩くのも平気だ。
 ただし、新しい路線はダメ。せっかく複雑怪奇な私鉄と地下鉄とJRの位置関係を把握できるようになったのに、なぜ大江戸線なんてものを通す。いつも丸ノ内線の改札を出てからしばらく立ちつくし、人の流れをかき乱してからようやく方向の見当をつけて、長い長い階段を下降していく。これはきっといつか地獄に堕ちるための訓練だ。
 今日もそうやって階段を下っていたのだが、どうも雰囲気がおかしい。壁のレリーフが違う。じゃあ以前はどんな装飾だったのだと聞かれると困るが、すくなくとも木彫りでなかった。
 階段もひとつめはタイルだったが、ふたつめからは木製になり、最後の短い階段は黒光りしていて、その先はなんと湯殿だ。濛々と湯煙が立ちこめている。
 背広にカバンをもった私は、どうしていいか、途方に暮れる。
 湯につかっている人々は、ちょんまげを結った人ばかり。
「あの……ここ、大江戸線のホームですよね」
「そうじゃ」
「電車来ますよね」
「くるくる。まだ十五分はあるからあんたも浸かっていきなさい」
「はあ」
 ビニール袋をもらって服をつめ、私はざぶんと湯に浸かった。いつもは電車の中でその日のToDoを考えるのが日課だが、これではどうにもならない。
 ぼーっとしていると、電車の停車する音が聞こえた。半数くらいの人たちが腰にタオルをまいた姿で立ち上がり、そのまま電車に入っていく。
「いいんですか?」
「なにが」
「いや、この格好で」
 料亭が走っているように見えた列車の中はミストサウナだった。女性車掌が「喉が渇いたらお飲みください」とひょうたんを渡してくれる。
 まるで王侯貴族の扱いだ。
 ふと嫌な予感がした。
「終着駅はどこですか」
「江戸城本丸に決まっておろう」
 がらがらと扉が開き、「通行証改めでござる」と侍が入ってきた。そんなバカな。私は厠に逃げる。進行方向に逃げ続けているうちにサウナは終わり、剣道場をくぐり抜け、地獄巡りのように仏間、厩、馬場、大奥などさまざまな場所を通過して、ついに将軍の間に出た。お目見え以下ではあるが、超時空的措置で対面していただき、ようやく江戸城から降りることができた。
 できたのはいいが。
 ここはどこだ。
 目の前をしじみ売りが通過していく。

(了)

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