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GHQに廃止された「歴史科」と今の「社会科」。違いを探る。

大東亜戦争での敗北後、GHQによる占領政策の下で日本の教育システムは大きく変更され、従来の「歴史、地理、修身」の学科は廃止され、それに代わり「社会科」という学科が新設されました。これは、当時の日本社会を変革し、日本を新たな時代に導くための措置の一つでした。

戦前戦中の日本は、国際的にも強力な国として知られていました。そして、国民一人一人がとても思考力のある優秀な民族でした。戦後のこの変化は、日本の教育に大きな影響を与えました。

この記事では、特に「歴史科」の廃止とそれに代わる「社会科」の導入に焦点を当て、教育への影響を探ります。


「社会科」が暗記重視であることの謎が解けた

こちらの動画をご覧になってください。素晴らしい内容です。

以下は、上の動画の 1:34~ を抜粋(少し修正)。

「歴史」とは、「なぜそうなったのか」ということを考えるものです。多くの人々が「歴史とは、年号、人物名、事件名を丸暗記する科目だ」と思っています。だから「歴史の授業は嫌いだ。面白くないし暗記ばっかりで。まあ点数は単語帳を使って暗記して、そこそこ取れるので、本当に点取り科目ぐらいにしか思ってなかったよ」と、このようなことを言う人も結構多いです。

現在の教育で「歴史」という用語が使われていますが、それは、実は「社会科」の中の一科目としての「歴史的分野」なのです。なので、僕らが学んでいるのは「歴史科」ではなく「社会科」なのです。

「社会科」とういうのは、社会全体の仕組みを様々な形で学んでいくことを目的とする学科になります。社会人となった時に、常識化している同じ日本人同士でちゃんと会話が成立するためには、基礎的な知識がお互いに共有されていなければなりません。たとえば、数字というのは、12345678910と読みます。これが共通語になっていないと、1+1=?と聞かれた時に「分かりません」になってしまいます。それだと、社会活動そのものができなくなるわけです。

また、「現在令和の時代ですが、令和の前は平成。平成の前は昭和という時代がありました」。「いや、そんなもん誰でも知ってるよ」と思うかもしれませんが、そう、誰でも知ってることがちゃんと常識化していなければ、通常の社会生活を人々が営むことができなくなってしまう。そこで「最低限これだけは知っておかなくてはいけないよね」ということを勉強するのが「社会科」なのです。

だから社会科における歴史というのは、「江戸時代を開いたのは徳川家康です。その前には室町時代がありました。室町幕府を開いたのは足利尊氏ですよ。で、それは1338年の出来事なんですよ」というようなことを名称や年号なんかを、ただただ「一般常識としてお互いに共有していきましょう」ということをやってるに過ぎないのです。

『 YouTube : 学校では教えない歴史学の持つ面白さ|小名木善行 』より

「社会科」は深掘りはしません。なぜかといいますと、生徒はテストでなるべく高得点を取りたいため、テストに出題される部分を丸暗記する勉強になるからです。なので、その事柄の真実や本当のことは良く分からないままで進んでいく場合が多いのです。


戦前戦中の「歴史科」とは

「歴史科」は、生徒たちに「なぜ?」と問いかけ、深く考えることを促す学問でした。たとえば「なぜ?1600年に関ヶ原の戦いが起こったのか?」という問いに対して、生徒たちは授業で討論し、様々な意見を交わしました。歴史は常に「正解」があるわけではなく、いろんな根拠や考えに基づいて「こうだったのではないか?」「いや、こっちだよ」といった具合で、自由な発言が奨励されていたため、生徒たちは自分で考え、自分の言葉でしっかりと発言できる。当時の授業は生徒たちにとって魅力的でした。

以下は、上の動画の 9:12~ を抜粋(少し修正)。

戦前戦中までの子どもたちは、たとえば、小学校の高学年ぐらい、今でいう小学校5年生6年生になってきますと、もう農作業のお手伝いができるんです。「おい今日はな、田植えがあるからお前学校休め」と親に言われるわけです。学校行きたいのに。でも学校を無理やり休まされてしまう。その時にはもう学校に行けないのが悔しくて悲しくて。友達に今日の授業のノートをわざわざ持ってきてもらって、「今日先生どんな話ししたの。どんな授業だったの」と言って目を輝かせて授業の様子を聞いていました。それは戦前戦中までの教育を受けてきた当時の小学生とか中学生たちがみんな経験してたことなんです。

学校に行くのに片道6キロ。6キロの道のりを雨の日も雪の日も猛暑の日も、友達みんなと歩いて学校まで行った。学校はだいたい昔は、朝の8時ぐらいから始まったのです。ということは、6キロの道のりを子供たちが歩くというと、午前5時半とか6時には家を出ないといけないんです。まだ薄暗いんです。それでもみんな本当に喜び勇んで学校に行った。なんでそんなことがあったのか。現代だったら考えられないです。「学校なんか行ったってしょうがない。面倒くさいからうちで僕ゲームやって遊びたいもん」と今の子は言う。
 
当時は、ゲームやってるよりもよっぽど楽しいことが学校にあった。

何があったのか、何が違うのかと言えば、
「もし君が源頼朝だとしら、都をどこに作るか」なんて先生に聞かれて、
「じゃあ5分で自分のノートに自分だったらどこに都を作るのか書いてください」
「はい、制限時間5分」
「はい、5分たったよ。山田くん、君はノートになんて書いた?」
「はい先生、僕は鎌倉じゃなくて川越に作ったらいいと思いました」
「うん、それはどうしてだ?」
「川越も街が古いですし、川が流れているし美味しい水が手に入ります。僕は川越の方がいいと思いました」
「おー、よし、じゃあ、鈴木君はどう思う?」
「はい、私は京の都に作ったらいいと思います。川越に作るよりも京の都の方がやっぱり華やかだし、お買い物もたくさんできるし、京の都の方が私はきっと暮らしていても楽しいと思うので京の都が良かったなと思います」
「うん、そうか」

「よし、じゃあもし頼朝が京都に幕府を作ったとするならば、その後の世の中はどのように変わったと思う?」
「鎌倉幕府じゃない。京都幕府。京都の源氏幕府。これができたら、世の中はどういう風な流れになったと思う」
「まず、源義経がいるよな。義経とお兄ちゃんの頼朝は喧嘩になっただろ。義経と頼朝が一緒になって京の都で幕府を作るってことなった場合、どんなことが起こったと思う」
「えーーー!」
「よしまた5分」
・・・・・・
「みんな考えてるよ」
 
これをやってるわけです。だからもうとにかく自分が歴史上の人物になって一生懸命考える。一生懸命考えて自分の意見を発表する。で、それに対して、みんながどう反応するか。
 
「お前それちがうよー」
「いや、私はそう思う」
 
やっぱり賛成意見があり、反対意見があり、いろんな意見がある中で、「自分ならこうしてやるよな。でもいろいろ考えてみると歴史上の人物がやっぱり鎌倉に作ったのが正解だったよな」ということが、ストーンと納得できるようにもなってくる。

実は学校でそれをやってたわけです。まさに歴史と歴史学を学んだのです。だから年号の丸暗記とかそういうのも全然関係ないです。まあ関係ないっていうのは言い過ぎかわかりませんけども、当時の教科書を見ても、国史といいますけど、その国史の教科書を見てもほとんど年号は出てこないです。出てきても永和3年とか嘉永6年とか。「何年に起こったのか」とか「それから何年経ちました」とか、その数字が問題なんじゃなくて、そこにおける人々の営みというものを自分も当事者となって考えていこうじゃないか。だから面白いのです。

『 YouTube 学校では教えない歴史学の持つ面白さ|小名木善行 』より


戦後の「社会科」について

戦後、新たに導入された「社会科」では、「歴史的分野」が含まれていますが、その教育方法には大きな変化が見られました。「社会科」の授業では、歴史の事実を単に暗記することが主流となり、深い考察や討論の場が失われました。結果として、生徒たちは正解を求める学習に重点を置くようになり、思考力や議論を重視する姿勢が減少しました。

「社会科」とういうのは、社会人となったときに一般常識として「これは知っておいたほうがいい」というものを学ぶのを目的とした学科です。たとえば、友人同士の会話で「今年の大河ドラマの『どうする家康』観てる?」と会話になったとき、もう一人の人が「え、家康って誰だっけ?」だと、話が進まない😅 なのでそれを避けるために「一般常識としてこれを知っておこう」ということを勉強するのが「社会科」なのです。


教育の変化がもたらす問題点

この教育の変化は、現代の日本社会にも影響を及ぼしています。多くの人々が、知識を深めることよりも、単に正解を知ることに重点を置くようになります。高い偏差値を目指すために、点数を取ることに重点を置いています。このため、表面的な知識を得ることが重視され、偏差値が高いほど「優れている」という誤解が生まれています。

また、日本社会には「特定の知識を持っていないと恥ずかしい」という風潮が存在します。このような圧力は、知らないことを隠して知っているふりをするような行動を促します。この結果、表面的で浅い会話が増え、実際には双方がその話題について十分に知識を持っていないにもかかわらず、その話題について話を続けることがあります。これは社会にとって有益ではありません。知識がないことを認めることができる環境でしたら、知っている人が他者を軽蔑せずに知識を共有することで、お互いが深く学ぶ機会になります。

現在の日本人の中には、チャレンジ精神や自己肯定感が低い傾向が見られます。これは、知識が不足していることや間違いを恐れるために、新たな試みを避けるようになることが一因と考えられます。

学校の授業では、教師が質問を募るものの、生徒たちが質問をすることはほとんどありません。これは、変な質問をして他の生徒に笑われることを恐れるためだと思われます。こうした現象は、現在の教育方法に問題があることを示唆しています。


本当の「歴史教育」を復活させよう!

僕は、戦前の「歴史科」のような教育方法を復活させることで、日本人の思考力や表現力を取り戻すことができると考えます。日本は伝統的に強い国であり、日本人は才能に恵まれています。そんな自信を取り戻し、教育を通じてさらなる発展を目指すべきです。

本当の「歴史教育」を復活させようじゃないか!💪


ー 追記 ー
この記事をテーマにして、ラップのリリックを書きました。


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