美しいものは美しいー葛西臨海公園(東京都江戸川区)
台風が過ぎ去ってからというもの、否が応でも、季節の進行を感じる日々が続いている。そんな中、院生時代のある友人が「秋になると憂鬱になる」と言っていたことを思い出した。初めてこの言葉を耳にしたとき、「冗談で言っているんでしょ」と言って相手にせず、疑ってやむなかった。幼い頃から、毎年、必ずといっていいほど夏バテに陥るわたしにとって、秋の到来は「夏」という桎梏からの開放を意味していたからである。
ともあれ、疑問に思っていた友人の言葉は、秋が深まるに連れて、現実のものとなっていた。すっかり気落ちして、口数も少なくなる友人を目の当たりしたわたしは「正気か」と問いたくなる一方、「こんな人もいるんだ」と変に勉強させられた気分になっていた。結局、その友人は冬の訪れとともに、具体的にいえばクリスマスが近づくに連れて、元気を取り戻していたように見えた。「憂鬱」の素が、彼女の言葉のとおり秋という季節なのか、それとも実は恋愛などの人間関係の揺れ動きにあるのか、真相はわからない。
ただ、あれから10年近くが経ったいま、否が応でも、秋を感じさせる日々を過ごしていて、どことなく彼女の「言葉」がわかったような気がしている。あれだけ秋を楽しみにしていたはずなのに。
25日の日曜日、2つの台風が東京を過ぎ去って、ようやく現れた青空。もはや、それは「台風一過」というより「秋晴れ」と呼ぶに相応しかった。高い空に覆われて、澄んだ空気が漂う中、少し肌寒い風が、秋の到来を確かに感じさせてくれる。
そんな日の昼、憂鬱な気持ちを晴らしにと、サイクリングをするため外に出る。特段、理由はないが、行き先は葛西臨海公園とした。
自転車で葛西臨海公園に行くのは、今回が初めてではない。むしろ、これまで何度かあって、おそらく今回は5回目ではないかと思う。したがって、これから紹介する道程は、わたしにとっては馴染み深い。ただ、そうはいっても毎回、訪れるたびに、こころが洗われたような新鮮な気持ちになっている。
まずは荒川へと向かう。南砂町から清砂大橋を渡って、江戸川区に入る。あとはここからひたすら河川敷を南下するだけ。サイクリングコースなので、もちろん信号はない。ノンストップで東京湾まで駆け抜ける。
ところで、目黒という東京の西部で育ったわたしにとっては、長い間「河川=多摩川」であった。考えてみれば、中学生の頃も、いまと同じくサイクリングをして憂鬱を晴らしていたが、その舞台は決まって多摩川の河川敷であった。東京の東部に位置する荒川や江戸川まで自転車行くことは、中学生にとっては、少々、気概のいることであったように思う。
そして、いつだったか、初めて荒川に自転車で着いたとき、ただただスケールに圧倒されたことをよく覚えている。多摩川と比較して、何から何まで大きいのである。それまで、何度か電車に乗って、荒川を越えたことはあったものの、そのような驚きを抱いたことはなかった。自転車からの眼差しは、目の前の景色を等身大ものとして感じさせてくれるのだ。
さて、この驚きをもたらした荒川は、正しくは「荒川」とかっこ付で、あるいは「荒川放水路」と呼ばなければならない。というのも、もともと荒川は現在でいうところの隅田川であったからだ。その当時、「荒川(隅田川)」はその名のとおり頻繁に氾濫を繰り返しており、その流域は長らく水害に苦しめられていた。
確かに現在の隅田川を見てみると、川幅は狭く、堤防も心もとない。そして、なにより相当くねくねと何度も曲がっている。これでは氾濫が生じやすいのも、頷ける気がする。
そんな「荒川(隅田川)」を水害から守るための対策は、もう一本を川を作るという極めてシンプルなものであった。もっとも、ここでいう川は人工的なものであることから、それは「放水路」と呼ばれる。つまり、大雨などで水位が増した「荒川(隅田川)」の水を放つための路を、新たに作るということである。
1930年、予定の10年をはるかに超える17年の工期を要して、赤羽にある岩渕水門を境に、従来の荒川は「隅田川」と名称変え、もう一本の新たに完成した川(放水路)は「荒川放水路」と名付けられた。これにより、大雨の際に水門を閉めることで、隅田川は水位の上昇を抑えることが可能となった。そして、増した水を放水する役割を担う荒川放水路は、当然、巨大に作られたのである。なお、荒川放水路の建設に伴い、およそ1300戸もの世帯が立ち退きを強いられたことは明記しておきたい。
さて、結局のところ、中学生の頃に感じた荒川のスケールは、人工的な放水路に過ぎなかったわけだが、そうした歴史を知ってもなお、荒川は完璧な自然として、あたかも「大河」かのように見える。
話を戻そう。川の最下流に位置する清砂大橋から荒川に入ると、荒川河口と呼ばれる東京湾との合流も間近に迫っている。自転車をまっすぐに走らせて、JR京葉線が走る荒川橋梁(かつては荒川放水路橋梁と呼ばれた)を超えれば、海である。ただ、川幅が広いこともあってか、川と海の境界は曖昧でよくわからない。連続的に景色が移り変わっていく中、ふと目に入った消波ブロック、いわゆるテトラポットが「ここが海であること」を教えてくれた。あっという間に、葛西臨海公園に到着した。
ところで、先日、地元の人はここを「葛臨(かさりん)」と呼ぶという話を耳にした。この言葉の響きだけを聞くと「カサリン」に変換され、何かの動物(怪物?)を連想してしまい、とても葛西臨海公園を想起することはできなかった。先週は「青山一丁目」を「青一」と、「赤坂見附」を「見附」と略す言葉に出会した。わたしも「自由ヶ丘」を「が丘」と略している(地元の友だち以外、ほぼ伝わらない)ことを思えば、地名の略語というのは、極めてローカルなものであろう。だからこそ、(言われる割に、実際に行くと何もない)「中目」のように、略語が全国的に市民権を得るのはすごいと思う。
「中目黒から中目へ」と発展するを過程を調べるのは、きっとそれなりに面白いと思うが、話を戻そう。「葛臨」のランドマークといえば、完成当時は日本最大の大きさを誇った大観覧車である。狭まい空間が苦手なわたしは、この「花とダイヤの大観覧車」と呼ばれる都内で最大の観覧車に乗ったことはない。わたしにとって観覧車は、あくまでそれ自体を観覧の対象とするもの。それで満足している。
さて、この観覧車を河川敷から眺めていると、手前には殺風景な光景が広がっていることに気づく。配管や煙突、工場などで構成される一連の建物群は、東京都水道局の葛西水再生センター、かつては下水処理場と呼ばれた施設である。河川敷に隣接してることもあって、葛西臨海公園に向かうには、どうしても避けることができない。近づくとアンモニア臭が鼻を突くが、風が強いこともあって、けっして滞留はしていない。まあ、耐えられるレヴェルである。
水再生センターは、ちょうど中央環状線と湾岸線とが合流する葛西ジャンクションの真下に位置している。ここ夜になると、小規模な工場夜景も相まって、ジャンクション写真の定番スポットのひとつとなる。次こそは夜に訪ねてみたい。
長くても片道30分程度のサイクリングコースは、初心者でも十分完走できると思う。ぜひ、この「自然と都市」が調和する都会的な光景を体験してほしい。
このコースを初めて走ったのは、20歳の冬のこと。縁あって、平日の朝早くに行ってみることにした。雲ひとつない冬晴れの下、河川敷を駆け抜け、人っ子一人いない渚に辿り着く。そこに立って、東京の高層ビル群や離陸する飛行機、湾口を行き来する船舶、海の向こうにそびえる房総半島などの景色を昼を迎えるまでずっと眺めていた。少し言い過ぎと思われるかもしれないが、わたしはあの景色を超える「美しさ」をいまでも知らない。そう自信を持っていえるほど、あの景色は美しかった。
葛西臨海公園は、わたしにも「美しいものは美しい」といえる心があることを思い出させる。そうした気づきが、確実にこころの汚れを落とし、綺麗にしてくれている。少しばかり、憂鬱な思いが晴れた気がした。