
「新宗教都市」を歩く(後編)ー静岡県熱海市
今回は前回(前編)の続きとなります。
世界救世教の分断と統合の歴史
岡田茂吉の死後、世界救世教からは多くの分派・独立した教団が誕生している。そのなかには教団名の改称を重ねる団体もあることから、最新の状況について「部外者が把握することは容易ではない」といわれるほど、状況が巡りめぐっている。また直接的な関係はないにせよ、世界真光文明教団は創始者の岡田光玉(岡田茂吉とは異なる家系)が世界救世教の有力な信者であったほか、ワールドメイトの創設者、深見東州(半田晴久)も幼少期は世界救世教の信者であった。
研究者の岡宏憲によると、世界救世教の分断の歴史は次の4つの時期に分かれるとされる。
①岡田茂吉没後の混乱(1955年)
新健康教会、救世主教、浄霊医術普及会、大本光之道の独立
②教団一元化による混乱(1962年~1972年)
救世真教、ミクロコミュニティ救世神教、神慈秀明会、世界救世教黎明教会、東京黎明教会、世界救世教会、救いの光教団、岡田茂吉研究所、聖観音教会、みろく神教、五三教会、慈永堂の独立
③教団内紛からの被包括法人化(1980年代、被包括法人は1999年)
④教主問題による混乱(現在)
現に世界救世教が、実質的に大本(教)から分かれる形となったように、宗教において分派が誕生することは自体めずらしくない。ただ、世界救世教の場合、その動きが激しく、また、絶えず繰り返されていることが特徴だ。①~③の詳細については優れた論文(岡宏憲著「岡田茂吉没後の世界救世教と分派教団」)があるため、ここでは現在まで続く「④教主問題による混乱」を中心に分裂の歴史を辿っていこう。
世界メシア教誕生まで
1980年代、指導のあり方をめぐって教団内に対立が生じ、世界救世教は「新生派」「再建派」「護待派」に分裂(岡の区分では③のもの)。1997年の和解によって、1999年、包括法人「世界救世教」のもとに「世界救世教いづのめ教団(旧新生派)」、「東方之光(旧再建派)」、「世界救世教主之光教団(旧護持派)」の3つの被包括法人が誕生した。その際、目標として「2010年の被包括法人の返上(再統合)」が掲げられるも、未だ再統合はなされていない。むしろ、分断の動きは激化した。なお、この包括法人と被包括法人の関係は、自民党における各派閥や、セブンアンドアイホールディングスにおけるイトーヨーカドーやセブンイレブンなどを想起されたい。つまり、統括する団体の下に、いくつかの団体がぶら下がっているようなイメージである。それぞれは規模の差はあれど、法律上は対等の関係だ。
没後、岡田は「明主」とされ、2代教主には後妻である岡田よ志が就任。その後、1962年に岡田とよ志の三女である岡田齋が3代教主に、1992年には岡田の孫(茂吉の次男の子)である岡田陽一が4代教主に就任する。そして、4代就任からそれなりの時間が経過した、2017年、世界救世教の東方之光の信者が、毎週、岡田陽一夫妻がキリスト教系関連団体なる人物と密会し、教えを受けている映像を撮影、メディアにリークした。「教祖が他の宗教団体の教義を学んでいる」という衝撃的な事実は、教団内で瞬く間に広がり、世界救世教の名の下にある3つの教団の均衡は崩れていく。
こうした岡田陽一の行動を容認したのは世界救世教主之光教団で、その他の2団体は反対、対決姿勢を強める。2018年、世界救世教は世界救世教主之光教団に対する包括・被包括関係を解除し、陽一の後継とされる息子の岡田真明に対して懲戒解雇を決定。さらに陽一から「4代教主」の推戴を取消し、ヒンドゥー教学者で東海大学名誉教授の渡瀬信之氏を「5代教主」とした。なお、その際、渡瀬は岡田信之と改称している。
こうして世界救世教から外れる格好になった世界救世教主之光教団は「世界メシア教」に改称。教祖は変わらず「岡田茂吉(明主)」であるものの、教主は岡田陽一であり、教義には自らを「キリスト教の完成版」と位置付け、「キリスト教と呼応して人類の善導と救済、地上天国の建設を目指す」ことを謳っており、他の2団体とは明確に立場が異なっている。ここで思い出したいのは、岡田茂吉が立教した最初の「世界救世(メシヤ)教」である。こちらは「ヤ」であり、今回は「ア」とややこしい。そこで世界救世教は「世界メシア教」に文字商標にかかる訴訟を提起するものの、世界メシア教側が勝訴。以後、正式に「世界メシア教」と名乗ることとなった。
「聖地」における奇妙な共存関係
かくのごとく複雑な分裂騒動の結果、誕生した世界メシア教本部の前に来て、驚いたのは救世会館との距離の近さである。それだけではない。Googleマップ上の「世界メシア教」のビルの中には、世界救世教と世界メシア教、それぞれの本部が入居している。元はといえば、同じひとつの教団だったので、当たり前といえばそうなのだが。世界救世教と世界メシア教の対立を知れば知るほど、この奇妙な共存関係は、さながら「聖地」をめぐる静かな闘争を象徴しているようである。


分裂の最前線、熱海第一ビル
急坂を下ること約30分、熱海駅に戻ってきた。駅前の「熱海第一ビル(1967年)」は3棟が並んで見える大胆なモダニズム建築で、熱海のシンボル的な建物だ。上部に「MOA美術館」と看板を掲げている姿は、東海道新幹線に乗ったことがある人なら見たことがあるかもしれない。設計は佐藤武夫。同じく佐藤が設計した新橋駅前ビルと、どこか似ている。


ビルの入居団体の一覧を見ると「MOA(エム・オー・エー)」と書かれた団体が数多く入居している。MOAは宗教団体ではないものの、冒頭に記したとおり、世界救世教の関連団体であり、先ほどの分裂騒動では世界救世教いづのめ教団と、東方之光の側にいる。そして、その横には「世界メシア教」と書かれた団体が並んでいる。「「世界メシア教」復活プロジェクト」や「「キリスト教との呼応」プロジェクト」など、世界メシア教の教義を反映したものが目立つ一方、9階には「教主様を尾行から守る会」といった勇ましいものもある。つまり熱海第一ビルにおいては、世界救世教と世界メシア教という分裂・対立する団体が同じフロアに入居している。文字どおり分裂騒動の最前線というべき場所なのだろう。


さて「最前線」であろう9階に行く前に、1階にある「GREEN MARKET MOA」というショップに足を運ぶことにした(なぜか案内板には「健康自然食コーナー」と書かれている)。岡田が度重なる病を菜食療法で乗り越えたこともあり、世界救世教では「無農薬有機農法」が推奨されている。いわゆる「オーガニック食品」のことである。このマーケットには多くの食材や商品には「MOA」というロゴが入っている。なお、金額は巷のスーパーで見かけるものより1.5倍ほど高い印象だ。のどが渇ていたこともあって、とりあえずミネラルウォーターだけ買ってみた。日本の水にしては、めずらしい非加熱処理の水であるところに「らしさ」を感じる。もちろんは味は普通であった。


さて、問題の9階に行ってみる。エレベータから降りると、そこには長い廊下が続いていた。世界メシア教関連が入っていると思われる区画には、人気はなく、以前に入っていたであろう「ジョージ歯科」の文字がうっすら残っている。なお、このジョージ歯科は日本におけるナソロジー(咬合学)のパイオニアとも言われる館野常司が開業したクリニックだ。2021年時点の営業は確認できたので、おそらく近年、閉院し、その後世界メシア教が入居したものと思われる。こちらもやはり休日の日中時間帯からか、人気はない。むしろ、その静けさから室内は空っぽなのではないか。おそらくダミーというか、世界メシア教が借りているけれど、看板だけ掲げているに過ぎないのではないか。もっとも、あくまで推測ではあるが。なお、その先にあるMOA関係の区画には、囲むように監視カメラが設置されていた。

クリスマスイブの和解劇
2024年12月24日、世界メシア教(世界救世教主之光教団)は、世界救世教に包括・被包括関係を解除されたことに対して不当とする訴訟について、両者は和解した。なお、地裁では世界メシア教側の訴えを却下としていた。その後、東京高裁から和解の勧告がなされ、双方が合意したという。これにより世界救世教と世界メシア教との間には、何ら関係がないこととなった。今後、世界メシア教は「共存」する本部事務所を明渡し、教主の岡田陽一は教主公邸からの退去することになる。つまり、世界メシア教は「聖地」熱海からの実質的な撤退が求められているのだ。他方、世界救世主教は解決金として13億円を支払うとしている。巷では世界メシア教の次なる聖地として「兵庫県西宮市」が噂されているが、この真相はわからない。ただ、今回の和解をめぐっても、両者の説明は互いを敵視するような形になっており、法律上の問題はなくなったにせよ、対立感情は消えていない。熱海における奇妙な共存関係はいつまで続き、その後はどうなるのか。「新宗教都市」熱海の歴史はこれからも続く。


わたしにとって「宗教的なもの」とは
本来は最初に明確にしておくべきだったと思うが、自分自身の宗教観というと大げさだが、宗教に対する考え方を記したい。なお、わたしは何らかの宗教団体に入ったことは、いままでも、いまもない。1988年の生まれのわたしは、小学校のときに地下鉄サリン事件を目撃し、その後もいまよりは頻繁していた新宗教関連のトラブルを多く見聞きしてきた。したがって同世代の多くと同様に、宗教、なかでも新宗教に対する「恐怖心」のような感覚を持っている。しかし、その反面、新宗教そのものへの関心は強く持っている。いま思えば「冷やかし」と捉えられてもおかしくないが、街中で宗教勧誘を受ければ話は聞いたし、時についていくこともあった(それで入信寸前まで追い詰められた経験がある)。それだけでなく、学術書も含む宗教に関する書籍も今日まで多く読んできた。
とはいえ決定的だったのは、やはり身近な出来事である。学生の頃、お付き合いしていた女性は、いわゆる宗教3世で、極めて熱心な創価学会の家庭であった。このことについては、彼女が創価大学を目指していた時点で「察し」ができていたが、親密になるに連れて、想像以上に学会色が強いことを知る(集会に誘われて、足を運んだことも3回あった)。あるとき彼女が就職の試験に落ちたことがあって、そのことを親御さんへ報告する場面に同席することがあった。彼女が不合格だった旨を伝えると、間髪入れずに返ってきた言葉が「祈りが足りない」であった。「毎朝、勤行をしていないじゃないか!だから落ちるんだ!」と叱咤する姿をみて、わたしは冷ややかに「馬鹿げている」と思ったことを覚えている。
しかし、時間をおいて考えてみると「原因があること(納得できること)」をうらやましくを思うようになった。自分なりに努力をした以上、自身の能力(学力)不足という曖昧な基準では納得は難しい。外から見れば、奇異に映ることであっても、本人を「本気と思わせるだけの世界」があることは、むしろ幸せなことなのではないのか。それ以降、彼女には「共感はできないが、理解はできる」と伝えるようにした。のちに彼女は試験に無事合格した。もちろんわたしは「祈り」のおかげではないと思っているが、彼女が「祈りのおかげ」と言っても理解はできると思う。もっとも、オウム真理教をはじめとするカルトなど、宗教にも程度の差はあるが、信者たちの日ごろの実践は簡単に否定することはできないし、そうすべきではない。
「自由」という名の相対主義は「多様性の尊重」といえば聞こえはいいが、他方で人々の間に「無関心でいることの正義」を呼び起こす。自由による絶対的な価値の喪失は、社会をニヒリズムの深淵へ進め、混沌を巻き起こす。そのような世界に抗うために、疑いなく何かを信じるという「こころの動き」は、生きていくためのヒントに違いない。ある人にとって、それは宗教でもあるし、ちょうどわたしが行きの新幹線で、曲に思いを馳せたように、音楽だっていい。時として自分とは異なる何かの物語に自らを位置付けることは、人間らしく、そして豊かに生き続けるために、不可欠な「こころの営み」なのではないだろうか。
さいごに
今回、この記事を書くにあたって、文中でも触れた研究者の岡弘憲さんにお話を伺いました。素朴な疑問に答えていただきましたこと、この場をお借りして、御礼申し上げます。なお、今回は宗教をテーマに扱ったこともあって、いつも以上に事実関係の確認、そして名称や用語は正確に使用することに務めました。それにもかかわらず、間違いや誤解を招くようなことがありましたら、それは筆者であるわたしの責任です。その際はコメント等でお知らせいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
