「面白いかどうか?」は自分では分からない(´-ω-`)。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
突然ですが、「note」で、あなたが面白いと感じる記事はどんな記事ですか?
また、自分の記事の面白さはどこですか?
…(・ω・)ヌヌー。
私の場合、学びや気づきを与えてくれる記事や、好きだと感じる言葉の言い回しやビジュアルセンスの高い記事を面白いと感じます。
一方で、「自分の記事の面白さ」については、正直、分かりかねます(笑)。
何と言いますか…、私の投稿記事は、私という人間をそのまま表現していると思っています。
というのも、完全に主観で書いているからです( ̄▽ ̄;)。
「人に読まれる記事」というのは、「誰かが面白いと感じる記事」であり、ニーズやウォンツ、シーズをキャッチできる方は、ご自身の主観ではなく、情報提供の場として、「note」を活用しているように思います。
このように、今回は「面白い記事とは?」について、書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
ーーーーーーーーーー
私は「読んでいて、思わず笑ってしまう記事」を書きたいという欲求があります。
読んでいただいた方が、自分の記事で笑顔になってくれたら、最高じゃないですか?
ですが、これって自分で判断できることでしょうか?
「これならきっと、笑顔になってくれる‼」
難しく考えているだけかもしれませんが、価値観は人それぞれです。
また、同一人物でも、そのときの気分というモノがあります。
そう考えたら、「笑顔になってもらいたい」という主観は押しつけにならないだろうか…?
…などと考えてしまう私は、何を隠そう、超真面目な人間なので(笑)、「面白い記事」を書こうとする気概は、割と早めに断念しました(;'∀')w。
なぜなら、私らしくないから。
ーーーーーーーーーー
自分の出来ないコトを認めると、心が軽くなります。
ムリも、背伸びも、見栄も必要なくなるからです。
私は楽器を弾けません。
私はデータ解析が苦手です。
私は他人に甘えることができません。
私は…。
「note」も、毎日投稿することは出来ますが、それ以上の事は出来ません。
だから、ありのままの気持ちを書き続けることにしました。
「面白おかしい記事」も「データに裏打ちされた記事」も、書きたいけれど書けません(;´・ω・)。
…ですが、あなたは今、読んでくださっています。
ーーーーーーーーーー
何を、どう感じて、私の拙い記事を読んで下さっているのかは分かりませんが、この投稿記事に、何らかの興味を抱いてくれているからこそ、この文章を目にされているのだと思います。
自分の記事の面白さはどこですか?
ありのままの私の価値観を受容してくださる方の存在を感じることができる、ということが、「記事を書く面白さ」だと、私は感じています。
記事が面白いのではなく、そこに人とのつながりがあることが、面白いですし、それが、私の書き続けられる理由だと思います。
ーーーーーーーーーー
「noteの書き方」は、人それぞれですが、どんな記事であっても、それを評価したり、興味を持ってくれるのは、自分以外の誰かです。
自分で勝手にハードルを上げてしまって、投稿を断念してしまうのは、勿体ないと思います。
あなたの記事が面白いかどうかは、読んで下さる方が判断してくれます。
たった一人でも、そこに繋がりができたら、あなたの記事には、素晴らしい価値があるのです。
…余談ですが、長く投稿していると、自分の記事で「(゚Д゚;)なんでこの記事が人気なの⁉」と思うときがあります(笑)。
支離滅裂だったり、本末転倒だったり、自分では「駄文」のレッテルを貼ったはずの記事が、ある日突然PV数が跳ね上がります(/・ω・)/
この謎現象を、あれこれ想像・妄想しながら、たまに晩酌するのが、「note」を始めてから新たに追加された習慣です( *´艸`)グヘヘ。
ーーーーーーーーーー
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。